2013年8月28日水曜日

地元桐生市でコンサート

 みなさん、こんにちは。久しぶりの更新となりました。

 今回は、8月10日に地元桐生市で行いましたコンサートのご報告です。場所は桐生の老舗カバン店さん、モギカバンさんです。こちらは広い店舗の奥がギャラリーとなっていて、随時、展示会が催されています。当日はアメリカ、ニューヨーク在住のHiro Ichikawaさんの個展が開催されていて、コンサートをお母様と一緒にご覧くださいました。

 こちらでは一昨年に、東日本大震災へのチャリティーコンサートを行わせていただいた以来、2度目の開催です。今回は「くつろぎのコンサート」と題して、1940年代〜60年代にかけてのシャンソン、カンツォーネ、ボレロ、ボサノヴァ、歌謡曲の美しい曲をプログラムとしました。この年代の曲を聴いていると、わたし的には今の時代の曲よりも、おおらかさ、清らかさ、美しさ、豊かさを感じさせてくれます。昔の映画もそうですが、なにか別の世界、別の次元へと連れて行ってもらえます。

 今回お越しいただいたお客さまはちょうど50名でした。不思議だったのは、以前別々の会場に来ていただいたお客さまが知り合いだったということが多かったことです。主催者の茂木さんと来ていただいたお客さんが昔からの知り合いで、久々の再会ということもありました。やはり、ひととひととは眼には見えないご縁で結ばれているのですね。そんなご縁のある方達がひとときに集まって、わたしが歌わせていただけたことに感謝、感謝でした。お越しいただいた皆様、主催してくださった茂木さん、お手伝いしてくださった皆様、どうもありがとうございました。


2013年6月10日月曜日

ボサノヴァギタリスト木村純さんと演奏

 6月8日(土)大間々の緑豊かな素敵なお店、カフェ&ギャラリーねこの時計にてボサノヴァ・デュオ・コンサートをさせていただきました。ご来場くださいました皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
 実は、わたしはボサノヴァ・コンサートを他のミュージシャンと演奏するのは初めてであります。そのお相手は超多忙な都内のボサノヴァギタリスト木村純氏です。歌がメインであるわたしにとってはボサノヴァの造詣が深く、ジャズなど他のジャンルにも精通していて都会センスあふれるギターワークは願ってもないギタリストです。なにより、どんな人でも変わらずきさくに接してくださるそのお人柄が素晴らしい方です。そんな信頼できるギタリストの方とお客さまの大半が以前来ていただいた方達、レッスンを受けている方達とそのお仲間でしたので、演奏するにしても心強かったです。ありがたいかぎりです。
 地元のコミュニティFM放送局の番組ではじめてお話しし、木村さんの、地元群馬でのライブコンサートにうかがったところ、ご自宅に招いてくださいました。東京スカイツリーが間近のご自宅にうかがったところ、お互いに70年代のアメリカ音楽が好きだということがわかり、話が盛り上がりました。とりわけ、わたしはジェイムス・テイラーの大ファンで、いつか人前でも彼の曲が演奏できたらと思っていました。
 ボサのスタンダードに加えてキャロス・キングの名曲、「You've got a friend」が木村さんと演奏でき、わたしとしてはこれだけで感無量でした。キャロル・キングをはじめ、ジェイムス・テイラー、ジョニ・ミッチェルらは70年代にロスアンゼルスの町、ローレル・キャニオンに移り住み、悠々自適に創作活動する生活をして、自作を発表していきました。自然の豊かな町でセールスのことを気にせず、自分の心から演奏したい曲をつくり、歌う。なんと素晴らしいことでしょう。また、この時代はそんなアーチストをサポートし、アルバムをあつかう器量がレコード会社にありました。
  自然があふれ、木々のそよ風がここちよい場所で素晴らしい共演者と素晴らしいお客さまに聴いていただけて、これ以上の幸せはないコンサートとなりました。また、このような機会をもっともっと続けていこうと思っています。

2013年5月29日水曜日

生まれ故郷でのしあわせのひととき

 みなさん、こんにちは。昨日はNHKのBSプレミアムで名曲「イパネマの娘」にまつわるドキュメンタリー番組「世紀を刻んだ歌 イパネマの娘〜青春のメロディーの栄光と挫折〜」が放送されましたが、ご覧になりましたか?再放送が6月5日(水)午前2時からありますので、見逃した方は観てみてください。

 昨年から地元の公民館の婦人学級の開講式に呼んでいただく機会をいただいています。昨日はわたしの生まれた地での婦人学級「南カトレア学級」の講師としてボサノヴァを弾き語りで歌わせていただき、お話しをさせていただきました。昔、近所のとてもお世話になった魚屋さんの娘さんが公民館の職員の方にいらっしゃったり、館長さんも桐生市の国際交流協会に尽力された方だったりして、和やかなムードの中で演奏を始めさせていただくことができました。

 わたしが生まれた桐生市の新宿(しんしゅく)は講談社を創設し、報知新聞の社長でもあり、「雑誌王」と呼ばれた野間清治の生誕地です。わたしはそこで小学校1年生まで過ごしたのですが、当時は通りがにぎやかで活気にあふれていました。駄菓子屋でいろんなものを買ったり、はりめぐらされていた堀で模型の船を浮かべたり、近所の子達と野球や鬼ごっこをしたり、シューマイとラムネをお店で食べたり。いろんな思い出が甦ってきました。近所のひとたちもみな、家族ぐるみのお付き合いで、いまでもお付き合いのある方もいます。そんなあたたかなふれあいがある町が新宿でした。ご参加くださった70名のみなさんもそんな思い出がよみがえったのか、みなさん、お顔がパッと明るくなって、あたたかなムードに包まれました。残念ながら、にぎやかだった
通りも、いまは見る影もなくなってしまったのですが、そんなひとびとのふれあい、愛情を、リオに滞在したときのホームステイさせてくれたおばあちゃんやご近所のひとびとが接してくださって、新宿時代のひとびとのぬくもりを思い出させてくれました。元来、ひかえめな態度ですが、日本人の血筋にはあたたかく、やさしいこころづかいの気持ちがあると思います。心を開いて接することができれば、きっと日本人はむかしの良さをとりもどし、しあわせな社会をつくりだすことができると思っています。今回はそんなお話しもさせていただきました。シャルル・トレネーのシャンソンの名曲「街角」がオーバーラップする内容です。

 桐生市という町は北、東、西の三方を山に囲まれ、北は御神山の赤城山がいらっしゃいます。中心を渡良瀬川が流れ、南はひらけているという風水的にまれに見る素晴らしい土地です。学校の校歌にも山紫水明とうたわれています。人々が本来の自分を取り戻すとこの地はしわあせで住み心地がよい理想郷となるでしょう。


2013年5月20日月曜日

蔵空間でボサノヴァ

 みなさん、こんにちは。5月も半ばを越えております。家の辺りを散歩していますと、いろんな花がたくさん咲いています。誰に見られようとか、どこで咲こうとか、どんなふうに自分を見せようとか、そんなこと一切関係なく、それぞれが自分らしく、またそれぞれ個性があって、あるがままに咲いています。つぼみの間があり、また時期が来れば散ってしまいますが、それもまたあるがままなんですね。わたしもそんな存在でありたいです。
 さて、先週の土曜日ですが、前橋の大手町にありますギャラリー土蔵空間えばさんにおいて、ボサノヴァライブをさせていただきました。オーナーの江原和子さんとはフェイスブックでつながった方です。いろんなことに関心をもたれて、博識な方です。今年の2月にイタリア雑誌の表紙広告イラスト展をやられていたので、うかがい、演奏を披露しました。いろんな話題で会話も盛り上がり、演奏会の運びとなりました。とにもかくにも土の蔵の空間がまるでパワースポットのような落ち着ける空間なのです。戦争中、こちらがある大手町は空襲で焼けてしまったのですが、こちらのお屋敷と蔵は奇跡的に無事だったというのもなにかうなずけます。
 お客さまの人数を15名限定で、以前からある蔵をギャラリーへと再利用した落ちついた空間でのアットホームな趣となりました。おかげさまで15名満席となり、今回はボサノヴァの核であった人物、作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン、作詞家ヴィニシウス・ヂ・モラエス、演奏家ジョアン・ジルベルトにちなんだ曲のみを演奏させていただきました。わたしにとっては、ボサノヴァ、イコール、この3人の三位一体があの奇跡的な音楽を生み出したと考えているからです。
 今回、前半、後半の2部構成で休憩時間にはおいしいフルーツポンチがふるまわれました。前半のラストにはフリーのアナウンサーの藤弓真千さんのボサノヴァ詞の日本語訳の朗読のサプライズもあり、来て頂いたお客さんには楽しんでいただけたのではないでしょうか?
 来てくださったお客さまはみなさん、リラックスしながらも真摯に耳を傾けてくださいました。主催してくださった江原さんはよりよい会になるよう誠実に尽力してくださいました。この場を借りて本当に感謝申し上げます。こちらでの演奏は今回を皮切りにNostargia Moderna(モダン・ノスタルジー)というコンセプトで四季に併せて行うこととなりました。次回は7月20日(土)「夏を唄う」と題して予定されております。ボサノヴァの源流サンバや夏にちなんだボサノヴァの曲をお届けする予定です。


2013年5月13日月曜日

ソルフェジオ周波数

  みなさん、こんにちは。気温がめまぐるしく変わる気候ですね。
 遅くなりましたが、地元桐生市で開催されたボサノヴァ@ホームですが、楽しく、素敵な時間を過ごすことができました。主催者の野口素直さんをはじめ、ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。演奏を終えて、その後わたしのレクチャーのあとのシェアリンングでは、みなさん、どの方も満面の笑みでお話しされて、時間の経つのを忘れてしまうほど楽しい談笑となりました。野口さんのSUNAO WORKSさんでもこれからも続けさせていただくということで、わたしの方も意欲満々です。ご興味ある方がいらしたら、お気軽にわたしの方へお問い合わせください。
 今回はソルフェジオ周波数というものについてですが、7世紀以前の音楽にソルフェジオ音階というものが使われていたそうです。古くから伝わるグレゴリオ聖歌で使われていた音階の周波数で、順に369Hz、417Hz、528Hz、639Hz、741Hz、852Hzだそうです。ここ最近、この周波数は人間の身体や脳にポジティブな影響を与える力があると言われています。とくに528Hzがよいのだそうです。ギターでこの周波数に合わせるとA=444Hzにチューニングすることになり、C=528Hzとなります。
 実は今回のボサノヴァ@ホームでそのチューニングにしたところ、効果が絶大でした。参加されたみなさんがときどき深い眠りに落ちているのが見てとれました。やはり、周波数ですから、デジタルであるCDやインターネットでその音を流した場合は音の情報をすべて伝えることはできません。やはり、生の響きを直接浴びて共鳴するのがベストだと思います。
 学校で吹奏楽を教えているある先生からお聞きしたのですが、近年の若い子たちのピッチがあがっているらしく、むかしはA=440Hzが普通でしたが、いまではA=442Hzが標準のようです。人間の集合意識全体で無意識に周波数が上がってきているのかもしれません。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


2013年4月7日日曜日

ボサノヴァ@ホーム開催のお知らせ

いつもブログ記事を読んでいただき、ありがとうございます。
今月、群馬県桐生市にてボサノヴァによるヒーリング、ボサノヴァ@ホームを開催します。

主催してくださるのは桐生市在住のヒーラー野口素直さんです。こちらがウエブサイトです:SUNAO WORKS spiritual healing。こちらのOpen Heart Project♥の一環として行われます。ボサノヴァ@ホームに関することもありますので、どうぞご覧になってみてください。

それから、ボサノヴァ@ホームにご参加いただいた方の感想をいただいていますので、一部ご紹介したいと思います。

○匿名様
「少人数でとても密度の濃いエネルギーを受けて、包まれる感覚と共にハートに深く響きました。個人的には眠りというよりも体を起こしたまま深い瞑想状 態に入り高次元のエネルギー、ご存在、ハイアーセルフにアクセスする体感とビジョンを得ました。深い癒しと共にスピリチュアルであり人間的な気づきがあ り、涙があふれてきました。全てがあるがまま、ナチュラルで良いという自分への許しとねぎらいでした。心に詰まっていたけれど、自分では気づかずにいた滞 りがスーッと解けたようでした。」

「自宅を会場として提供させて頂きました。皆さんが帰られた後、子供が帰宅した際に“すごくいいにおいがする”と言っていました。我が家では仕事上、空間の浄化やアロマを焚くことは日常ですが、更にとてもまろやかな空気感になっていました。」

「自分の存在価値を認める(感じる)という長年に渡るとても深いテーマにおいても“理屈ではない何か”という感覚的なところで、全体的に自分自身がバージョンアップしたような気がします。」

○匿名様
「とっても癒されて、ここちいい感じで寝てしまいました。」

「不思議な事が、2日後に…ぜったいに許せないと思っていた上司2人に感謝があふれてきました。いつもとはいきませんが、あたたかい気持ち接する事が出来る様になってきています。」

○匿名様
「とても心地良い音楽が身体にしみこんでいくという感覚があり、気がつくとすっかり眠っていました。(すみません)起きた後はとてもスッキリしていました。ありがとうございました。」


以上、感想の一部を紹介させていただきました。音というものは水への伝導性が非常に高いです。シロナガスクジラはわずか3頭いれば自分たちの出す音波で世界一周の交信ができるそうです。人間の体の約70パーセントは水ですから、音を使うヒーリングの効果と言うものは即効性があると思います。3人受けていただいたうちのお二人が眠ってしまったことからもお分かりいただけると思います。理屈ではなく、感じて頂くのが一番なのです。音の波動に共鳴することで、その方の波動が宇宙と調和し、本来の自分へと調整し始めるのです。ボサノヴァ@ホームに関する詳しいことは田村ひろのボサノヴァ@ホームのページにありますので、ぜひご覧ください:田村ひろボサノヴァ@ホーム

最後まで読んで頂きありがとうございました。

2013年3月20日水曜日

ボサノヴァによるヒーリングを始めます。

 いつもわたしのブログ記事を読んでくださっているみなさん、いつもありがとうございます。今日は春分の日にふさわしく、暖かくて穏やかな天気でしたね。
 今日から、わたしは以前から温めてきた企画、ボサノヴァによるヒーリングを開始いたします。ボサノヴァのヒーリングの可能性に気づいたのはかれこれ8年前です。帰国後、文化交流の一環として地元群馬で演奏する機会ができました。そうした流れの中で知り合った方から財団法人の文化祭の企画として演奏を頼まれました。会場は明治期に建てられた洋館の中の落ち着いた素敵なサロンでした。お客さんは皆、地元の名士の方々です。40分のボサノヴァの楽曲によるプログラムでした。
 そして不思議な体験をしました。演奏がすすむにつれ、聴いているひとが目をつむりはじめ、ある曲ではほぼすべてのひとが気持ちよく身体がゆっくりと揺れ、口がぽかんと開きながら眠ってしまっています。多分仕事では重責を担い、ストレスをかかえている人達です。そのストレスから解放され、気持ちがゆるみ解放されたのだと思いました。
 その後、演奏活動を本格化させていきましたが、リラックスできる閑静で落ち着ける会場での演奏では必ず目をつむって身体を揺らしながら気持ちよく聴いている、または眠っている方がいらっしゃいます。しかもボサノヴァのプログラムが有効なのです。
 ボサノヴァの特徴は、ゆらぎの音楽であるということです。小川のせせらぎや風のそよぎなど、自然は一定ではなくゆらぎがあります。そのゆらぎによって人間は脳からα波を発し、リラックスできます。そのゆらぎを1/fのゆらぎといいます。ボサノヴァのリズムはビートをときおりシンコーペーションさせる(1/8拍前のめりにアクセントをおく)ゆらぎというものがあります。美しい海に面した都市リオ・デ・ジャネイロで育まれたこのリズムはまるで海のさざなみのようです。また、メロディー、ハーモニーにおいても一聴するとシンプルのようですが、調性から逸脱した音が使われ、実は複雑な構造を成しており、総体的にゆらぎが存在する音楽といえます。
 ヒーリングミュージックという言葉を用いて、故宮下富実夫は人間のリラクゼーションのための音楽活動をされていました。そのイベントの中には眠りのコンサートというものがありました。自然と調和する音楽の持つ力(エネルギー)がひとの潜在意識にアクセスするとということは本来の人間のあり方に戻るための有効な手段かもしれません。
 田村ひろの弾き語りによるボサノヴァのヒーリングをボサノヴァ@ホームと名付けました。詳細はわたしのウエブサイトのページをご覧下さい。このことは追ってまたいろいろと記していきたいと思います。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2013年3月7日木曜日

わたしのワンネス体験

 いつもわたしのブログ記事を読んでくださっているみなさん、いつもありがとうございます。今回は、ちょっと変わった内容です。折しも、今日、ある方のチャネリングのブログでワンネスという言葉を眼にしました。今日がそのタイミングなのかと思い、綴ってみようと思います。わたしを知っている人の中にも違和感を持つ方もいらっしゃるでしょうが、個人的な体験を主観的に綴ったものとして受けとめてもらえたらと思います。
 それは2000年の5月に起こりました。その頃のわたしの状況はかなり切羽詰まったものでした。1994年、28才のときにギターでボサノヴァ(音楽を奏でること)を始め、好きが高じて1999年33才のときに東京へ出て、アルバイト生活をしながらボサノヴァのレッスン教室へ通っていましたが、低収入の生活、未来の希望が見出せない不安が襲ってきました。
 その頃、レッスン生徒さんの中にお二人、ある自己啓発セミナーを受けた方がいました。ある日、先生のライブの会場で、別のレッスン生徒さんに、そのセミナーの創始者の著書を貸そうとしていました。わたしは何をやっても中途半端で投げ出してしまう正確で、自分の理想と現実の違いの落差に、現状をどうにかしたいと以前からずっともがいていました。モティベーション、やる気、情熱、根気の持てないこに劣等感をもち、自己嫌悪に陥っていました。自分の精神とはどんなものかと思い、心理学の本を読むことがきっかけだったのですが、その後、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という本と出会い愛読していました。あの頃はシンクロニシティーに興味があったと思います。ですが、その本の通りにどうすれば自分の力を発揮させることができるかわかりませんでした。レッスン生徒さんの中のお一人は、吉祥寺でヒーリングサロンを独立開業されたばかりでとても輝いていました。その方からお話しを聞き、そうした力を発揮するノウハウを、きっとそのセミナーで得たにちがいないと思ったわたしはその本を貸してもらいました。その本の内容はたしかに具体的にすすめていく内容だと思いました。そして、そのセミナーの案内パンフレットをもらいました。たしか40万円以上の高額(わたしにとって)な料金でしたが、きっと自分の持っている潜在的な力を引き出す内容に違いないと思い、なけなしのお金をはたいて申し込みました。
 わたしはその頃、精神世界に一切関心がありませんでした。というより精神世界というジャンルさえ当時は知りませんでした。また、無神論者でした。世の中は一流大学に進み、一流企業に勤めるひとが社会の成功者で、遠にはずれてしまった自分のような人間は一生うだつが上がらないと決めつけていました。社会人としての自分の状況はそうした思いを反映していました。セミナーは、主催者のご自宅で約一週間の間行われ、20人弱の受講者の方が参加していました。内容は学校の授業のように黒板に向かってレクチャーを受けるというようなものを想像していたのですが、実際は随分異なり、いくつかの手法を使って、生まれてから自分が積み上げてきた自分の経験上の関係したひとたちを許し、自分の中にある価値判断を手放していくことでした。これまで、自分が長男で、田村家を継ぐことや自分の生活に使っていたもの、そして家族達を一切、実家に置いてきてしまっていたわたしには、そのお宅での実習は何か腑に落ちて、自分の心と身体がどんどん軽くなり、晴れ晴れとして透明になっていきました。無我の境地になるというのでしょうか、この瞬間に生きている充実感が高まっていきました。
 そしてセミナーの後半にさしかかったその日に、その体験は起こりました。わたしと何か別の存在が一体になった感じでした。自分とその周りが温かい何かのエネルギーに包まれている感じでとても安心した心地がします。わたしの細胞ひとつひとつが歓喜に満ち踊っている感じです。そして、何日か通って見慣れた、その家の部屋や部屋のものすべてに対してわたしの感じ方が、その瞬間から全然違うのです。全てが美しく、神聖に感じ、すべてが愛しいと思えます。至福感で涙が溢れ出してきます。「ああ、何て世界は美しく、愛に満ちて素晴らしいんだ。」という気持ちが溢れています。しばらくの時間、恍惚状態のまま、ほかの人と別室で一人にさせてもらいました。それからしばらくして呼ばれて、自分自身の”創造したいこと”をリストにあげてくださいと言われました。そのときリストに上げたことが「音楽を奏で、豊かでしあわせに暮らす」ことでした。あのとき体験して実感しました。「全てはひとつだ」「わたし達は実は全て本質は同じ」しかも「本質は愛そのもの」なんだと。自分のエゴがつくり出した「価値判断」の視点を外して本来の自分の意識で捉えるとそのものを実感できる。この世界を創出した存在(源、大いなるもの、神と呼べる存在)とわたし達は実は同一のもので、その存在の視点に立った状態を体験したと感じました。一緒にその家に来ていた受講者、サポートする人の中に、自分が苦手と感じるひとがいましたが、そのときは全てのひとを愛しいと感じました。その体験を今風に言うと「ワンネス」を感じた体験といえるでしょう。その日の日記に、その有り様を「たったひとつのわたし達、自分自身でいていいんだよ」と記しています。
 そのセミナーは、そのコースの後にもいろいろなコースのセミナーがあり、受けた方の中には、次のコースに行く人達がいましたが、わたしにはそれで十分でした。わたしの内側にいる魂がボサノヴァの音楽をもっともっと深め追求していくこと、この世界の有り様、精神世界に関することを追求していくことにわたしを駆り出させたからです。そして、その年にソロライブを開き、その体験の半年後に本場リオ・デ・ジャネイロに渡りました。追って、このプロセスも綴りたいと思っています。
 わたしにとって、この体験は今生きていくことの大きな支えになっています。残念ながら、あのときのような状態の自分でいられることはごくたまにしかありません。わたし達が全て、量子物理学的にみて波動であるということを知ってからわかるのですが、日々の中で、その体験をもとに、自分の波動、または外界の波動の周波数、振幅数が高いか低いかを感覚でわかるようになりました。ワンネス体験の時のような波動の周波数でいられることはまれですが、どうしたら、あの波動の状態にいられるのかはわかりました。自分の中にある様々な価値判断を手放し、飾ることの必要のない自分自身、本当の自分でいるとき、自分の大好きなことをしているとき、自分が本当のワクワクしているとき、自分がぼーっとした無の状態でいるときにその波動の状態にもっていけることに気づきました。ですが、それを知っていることよりもその波動の状態で生きることがなによりも大切なことです。その波動は自然と一体の波動なのかもしれません。いろいろなシンクロニシティーが起こり、直感が冴えるようになります。それは調和の波動なのでしょう。拙い文章ですので、あの体感と感動を全てお伝えするのはどうやらわたしには無理のようですが、わたしの生き方を一変させてしまった出来事を綴ってみました。
 最近では、わたしのような体験をされた方が他にもたくさんいらっしゃることを耳にしたり、読んだりします。多分、集合意識的に人類に起こっていることなのかもしれません。本来わたし達は全てとつながっています。分離しているという幻想を手放し、再び本来のかたちですべてとつながって人生を送っていけたらと思いますし、そうしていけると確信しています。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


2013年2月4日月曜日

バレンタインコンサート

 昨日は前橋の素敵なお店シャンティーさんでバレンタインデーにちなんだコンサートをさせていただきました。お店の皆様、ご来場くださった皆様、どうもありがとうございました。
 2月3日は節分の日。出掛ける前にしっかりと恵方巻を食してきました。
お店の方から、お客さんにお出しするケーキにちなんだ演奏をとリクエストをいただきました。準備中にひとついただきました。チョコレートケーキをいただきました。シンプルなのですがとても深い味わいのおいしいケーキでした。わたしのコンサートに来ていただいた方にもお店のファンの方がいらっしゃいます。ボサノヴァという音楽はとてもシンプルに感じますが、ハーモニー、リズム、メロディーが複雑であります。また、西洋音楽と黒人のリズムが混ざり合い、色に例えると褐色の色をイメージするので、ボサノヴァの歌自体がケーキとイメージがぴったりのような気がしました。
 いつも思うのですが、コンサートをさせていただくお店の方々との出会い、お店をご紹介してくださった方との出会い、来てくださるお客さんひとりひとりとも音楽を通じてのご縁というものを強く感じ、ありがたいことだなあと思います。演じるものがいるだけでは成り立ちません。聞き手の人もあっての音楽です。演奏者が一方的に送るのではなく、同じ場にいて一緒に共有して共に楽しむことが理想的な関係なんでしょうね。
 いつもなのですが、コンサート中に写真を撮る余裕がありません。会場にいらした方から写真を拝借しました。




2013年2月1日金曜日

エッセイ4

群馬県内東毛地区で配布されているタウンわたらせの、2010年に掲載されたエッセイの最終回です。自分の中で軸になっていることを整理するよい機会となりました。とてもありがたかったです。
 
タウンわたらせエッセイ4~ 思いをかたちに ~
2010年6月26日第390号掲載

 みなさん、江本勝氏の「水からの伝言」という本をご存知ですか?私達の世界は物質も含めて、皆波動であり、目に見えないその波動を水に閉じ込め、氷結させるとそれぞれの波動は異なる幾何模様として見ることが出来ます。「水からの伝言」はその写真集です。例えば「ありがとう」という言葉やモーツァルトの音楽はとてもきれいな幾何模様となります。人から「ありがとう」と言われて、いやな思いをするひとはいないはずです。また、モーツァルトの音楽は温室栽培をしているトマトに聞かせると、トマトがより甘く熟すといった現象があります。一方、「バカヤロー」や「ムカツク」といった言葉の波動はきれいな幾何模様にはならず、おどろおどろしいくずれたかたちになっています。明るく、あたたかい、美しいものは高い波動であり、暗く、冷たく、汚いものは低い波動です。高い波動は創造を生み、低い波動は破壊へとつながります。例えば、日本の伝統である”ぬか漬け”において、酵素であるぬかはひとの思いの波動に共鳴し、反応します。ひとが手間をかけ、愛情を込めたぬか漬けは発酵し、おいしい漬け物となりますが、愛情をかけずに手を抜けば、カビが生えたり、腐らせてしまいます。
 とすると、自然の中で降って来る雪はどうでしょう?どれ一つ同じかたちのものがなく、美しい結晶のものばかりです。とすると、自然というものは、高い波動であって、言い換えれば「愛」そのものではないでしょうか?自然自体は全てを育み、循環する何一つ無駄のないテクノロジーを持っています。
 自然がみな、生まれながらに備わっている英知によって生きているのに対し、人は思いをかたちにします。(厳密には自然も思いをかたちにしているのですが)例えば、離ればなれのひとの声が聞きたい、話がしたいという思いが電話の発明と言うかたちになりました。それをもっと便利で手軽なかたちにしたいという思いが携帯電話やいま話題になっているスマートフォンのiPhoneというかたちとなって登場してきています。
 iPhoneはアップル社というパソコンメーカーのもので、電話の機能、スケジュール管理、メール、音楽を聞き、動画も見れてインターネットにもつながるなど、電話機とパソコンの機能を融合し洗練させた新しいデバイスです。現在パソコンメーカーのアップル社の開発する製品は最高経営責任者(CEO)のステーブ・ジョブズ氏の意志が強く反映されているといっても過言ではありません。ジョブズ氏はフォーブス誌のすぐれた経営者投票で過去最高の得点で1位に選出されている人物です。
 ジョブズ氏は今から25年前某雑誌のインタビューで、コンピュータはどう変わるかと尋ねられるとこう応えました。(この時点ではまだパソコンは黎明期であり、インターネットは出現していませんでした。インターネットの普及は1990年代後半から)「将来、家庭にコンピュータを備える最大の理由が、コミュニケーションの全国的なネットワークに参加するため、ということになるでしょう。電話に匹敵する注目すべき飛躍的な進歩です。つらいのは、世間は具体的な答えを求めるのに、ぼくらにはそれが出せない事です。」と語り、グラハム・ベルの電話の発明についていかに素晴らしいことか熱く語っています。現在大ヒットしているiPhoneが発表されるときにジョブズ氏は「今日アップルは電話を再発明します」と言った言葉の裏には、今のような時代の到来を25年も前に予見し、そのために必要なデバイスをかたちにしようという一貫した強い信念を持っていたということになります。これはすごいことだと思います。
 「芥子粒ほどの思いがあれば山をも動かす」というキリストの残した言葉があります。地球の大きさからすれば微生物ほどの大きさである人間ですが、そのひとりひとりの思いは社会を変えさせるほどのポテンシャルを持っているのです。自分自身のしあわせへと平和への願望という思いを実現させることの可能性を信じ、いつもそこに気持ちを向け、保ち続ける意志をもって生きていると実現することは可能なことなのかもしれません。
 

2013年1月31日木曜日

エッセイ3

群馬県内東毛地区で配布されているタウンわたらせの、2010年に掲載されたエッセイの第3回です。


タウンわたらせエッセイ3~ 自然と共生 ~
2010年6月19日第389号掲載

 わたしは生まれ故郷であり、今も住んでいる、この自然に囲まれ、水がきれいな桐生が大好きです。新宿で生まれたのですが、当時はまだ井戸がありました。新宿は講談社の創始者である野間清治氏が生まれたところでもあります。
 小学校一年生のときに相生に引っ越したのですが、クワガタ獲りや沢ガニ獲り、魚釣りなど父親と梅田や菱町へ山遊びによく行きました。近所の相生の松もよい遊び場でした。相生の松の周りは一面草原で、そこで風に吹かれながら空想に耽ったりしていました。わたしの時代は学校が終わると自由を満喫していたと思います。
 桐生は風水学的にみて絶妙の立地条件だそうです。風水では、北に主山、東西に山が連なり、南に低い山と水の流れ出る川があることが理想とされていて、北に御神山である赤城山を主山として東西に山々に囲まれ、渡良瀬川が中心を流れる、まさに理想的な土地です。桐生が自然の気に満ちた素晴らしい土地であるのを痛感したのは大学時代と三十代前半に東京暮らしをしたことからです。
 特に学生時代は板橋区の大山という住宅密集地で、どこに行ってもコンクリートに囲まれ、神経がイライラし、周りと人から受ける緊張感と圧迫感によるストレスは耐え難いものでした。ボサノヴァを習っていた三十代前半は武蔵野の入り口の田無に住み、暇があれば近くの小金井公園に行っていました。
 三十年以上前の小学生の頃、近くの相生の松の草原でよく遊んでいた頃は、仕事が終わるとご近所同士でお酒を飲み交わしたり、食事をしたり、談笑し、交流し合って、みんな、のどかに笑顔で暮らしていました。周りは畑や草地で色々な昆虫や野鳥がいました。庭にはおけらもいました。
 東京時代にいつも思い出していたのは、そんな桐生での自然のあるのどかな生活でした。そして自然との共生なしに人間は生きられないということを肌で感じたのでした。その草原のそよ風のノスタルジーはわたしの大切な宝物です。そのノスタルジーも込めて今わたしはボサノヴァを歌っています。

2013年1月30日水曜日

エッセイ2

群馬県内東毛地区で配布されているタウンわたらせの、2010年に掲載されたエッセイの第2回です。一部加筆訂正しました。


タウンわたらせエッセイ2~ リオ・デ・ジャネイロ滞在記 ~
2010年6月12日第388号掲載

 わたしがボサノヴァという音楽を始めたのは28歳のときです。それまで、歌も楽器もまともにできませんでした。ましてや、人前で披露することなんてことはもってのほかでした。最初は独学でしたが、東京へ行き、新橋にある、ボサノヴァ歌手の中村善朗氏のレッスン教室に通い、発音はライブレストランのオーナー夫人のブラジル人の方に習いました。そして2000年11月、本場のブラジル、リオ・デ・ジャネイロに渡りました。リオに知人はいなかったので、最初はホテルに滞在しました。そのうちにある日系人の方の紹介で、イタリア系のブラジル人のおばあさんのマンションにホームステイさせてもらうことになりました。そちらでは、我が子同然に接してもらえました。
 ブラジルはカトリック信者の多い国です。ですから、日常使う言葉にも、とても反映されています。例えば、「いってらっしゃい」という言葉は直訳すると「神様と行きなさい」、「行ってきます」は「神様といてください」となります。そのおばあさんは娘さんを交通事故で亡くしてしまったのですが、「どうして神様はわたしから娘を奪ったんだろう」と泣きながら言っていました。おばあさんも2002年に亡くなられました。
 リオ・デ・ジャネイロは日本からすると地球の裏側の街です。それだからでしょうか、日本と習慣と気質が全く違います。一例をあげますと、ブラジルでは感情を体で表現します。あいさつは抱擁。女性に対しては加えて両頰にキスをします。親しければ親しいほど熱烈にするのが当たり前なので、日本人には苦手な仕草だと思います。
 リオの人のことをカリオカといいます。ちなみに南米最大で日系人も多いサン・パウロのひとをパウリスタといいます。カリオカはおしゃべりが大好きで、ひとなつっこくて、底抜けに明るいです。朝は浜辺で日光浴、昼の仕事を終えると夜はバイレ(ダンスパーティー)に繰り出したり、バールというサンバ、ショーロ、ボサノヴァの生演奏を聞けるお店でビールとおつまみを摂りながら、聞いたり、歌ったり、踊ったりしています。お店が始まるのは8時ぐらいからで、最高潮はいつも夜更け。一日一日を満喫して生きているのですが、そのタフさは日本人には到底真似できないでしょう。
 リオの中心街はコパカバーナ、イパネマという有名な海岸が隣接してあり、海岸沿いには大きなホテルが並びます。ちょっと内陸部に入ると、岩肌がむき出しの山がそびえていて、道路沿いや公園には大きな椰子の木が生えています。椰子の木の葉は6、7mあります。ある日、公園のベンチにいたら、その葉が落ちてきたことがあるのですが、落ちたときのドスンという大きな音にびっくりしました。人間に直撃したら死んでしまうと思います。あのときは本当に肝をつぶしました。
 リオは自然の息吹が感じられる街です。ジャルジン・ボタニコという広大な植物園もあります。公園や海岸には小さな野鳩がたくさんいます。日本に多く見られるスズメやカラスはいません。ハチドリも生息し、窓から入って来て、家の中に置いてある鉢植えの植物の花の蜜を吸っているのを見たことがあります。
 リオ・デ・ジャネイロの気候は亜熱帯で、夏の気温は42℃に昇ることもあります。汗をかいてもすぐ乾いてしまい、Tシャツに塩がふいた状態になります。水分もこまめに摂らないと熱中症になります。現地の人は安くておいしい椰子の実の水やオレンジ・ジュースをよく飲みます。
 ブラジルの共通言語はポルトガル語です。渡る前に一応勉強していったつもりでしたが、最初は大分苦労しました。挨拶ぐらいまではよいのですが、その後に続く日常話している言葉が聞きとれずにコミュニケーションできませんでした。そうして6ヶ月が過ぎたところ不思議なことが起こりました。ある日を境におばあさんが言っていることがはっきり分かり、こちらもそれに応えて言葉が自然に出て来たのです。まるで幼児が突然すらすらと話し出す感じでしょうか。勿論、複雑な会話になれば話は別ですが、ブラジル人と共に生活し、日常会話を交わすことで歌詞の言葉の意味合いを肌で感じることができて、リオに滞在したことは本当によかったと思います。
 郷に入れば郷に従え その土地の風俗、習慣を受け入れてしまえば、現地の人々にも快く受け入れてもらえて住めば都となるものだなと思いました。
 

2013年1月28日月曜日

エッセイ1

 寒い日が続きますね。幸い、群馬県桐生市近辺は雪の影響はあまりありませんでした。
 さて、ここ東毛地区で配布されているタウンわたらせに、2010年にエッセイを掲載させていただきました。短いですので、計4回のエッセイを一本ずつ投稿していきたいと思います。


タウンわたらせエッセイ1~ ボサノヴァ:愛とほほえみと花 ~
2010年6月5日第387号掲載

 みなさん、ブラジルといえば何を思い浮かべますか?毎年テレビのニュースなどで取り上げられることといえば、リオのサンバ・カーニバルかと思います。サンバの発祥地は実はリオではありません。ブラジル北東部のバイーア州というところです。この州のサルバドールという町に、アフリカから奴隷として連れて来られた様々な主族の宗教からのものだそうです。1900年代前半まで公には禁止されていたそうです。
 部族では、それぞれが独自のリズムを持っているそうで、それがブラジル内で融合し、複雑なポリリズム(複合リズム)になりました。ですから、サンバの中にも色々なリズムがありますし、一時期流行ったランバーダなど他にもたくさんのリズムがあります。サンバとして形になったのは今から100年ほど前だそうです。
 リオ・デ・ジャネイロではサンバの他にショーロという哀愁を帯びた音楽があります。ブラジルは様々な移民による国で、最初に入植したポルトガル人をはじめ、スペイン人、フランス人そしてイタリア人などラテン圏の人々が入ってきました。彼らの中には亡命したヨーロッパの宮廷貴族がいて、そのような人々はお抱えの宮仕人も引き連れて来たそうです。ですから、リオ・デ・ジャネイロという街ではできた当初からピアノの所有率が高かったそうです。滞在時にブラジルオペラ協会の会長さんの誕生日パーティーにうかがったことがあるのですが、催された別荘の大きさは、プールなども勿論あって広大でした。当然、宮廷舞踊であるポルカ、ルンドゥなどが当時のサロンでは奏されていて、それがショーロの前身で、今から100年ほど前に形となったとされています。
 それに加えて、わたしが思うにリオ・デ・ジャネイロの音楽文化に書かせない要素はセレナータ(セレナード)です。思いを寄せる人へ奏するロマンティックな要素はラテン文化ならではです。ですから、イタリア音楽やメキシコのボレロなどもブラジル人は好んで聴いています。そうした音楽が成熟し、アメリカのスタンダード音楽やジャズなども取り込み、1950年代後半にボサノヴァという音楽が登場します。
 初めてのボサノヴァの曲「シェガ・ヂ・サウダージ」という曲は1958年に発表されました。そしてこの曲をひっさげ、独特なギターの弾き語りをするジョアン・ジルベルトの登場によって、ボサノヴァのブームが起こりました。作詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン、歌はジョアン・ジルベルト。ボサノヴァの代表曲のほとんどはこの三人によって送り出されたといっても過言ではありません。
 ヴィニシウスは作詞家に転向するまでは外交官をしていました。彼は作詞するにあたって、テーマを持っていました。それは「愛とほほえみと花」でした。ジョビンは自然を愛し、アマゾンの森林伐採の反対を唱えるエコロジストでもありました。ジョアンはサンバ発祥地バイーアから歌手として成功を夢見てリオに出てきましたが、失敗し、一時期姉夫婦の家に居候をしていました。その時期にギターによる独自の伴奏法を編み出し、ささやくような歌唱法とともにボサノヴァのスタイルを生み出したのでした。彼はそのスタイルを確立する過程においていつもある人に聞かせていました。その相手とは、姉夫婦の赤ちゃんでした。その子が安心してスヤスヤと眠れるための最良の子守唄だったのです。
 サンバというプリミティブな音楽を昇華させたボサノヴァ。そこにはポルトガル語の抑揚も重要な要素で、愛の波動に溢れた音楽です。
 

2013年1月21日月曜日

ペットは大事な自分の家族

 我が家には2006年にキジトラの野良だった猫とトイプードルの犬を家族として迎え入れました。猫の方は2階の自分の部屋に、犬の方は1階にと住み分けています。
 去年の夏頃から猫が食べ物というより、水みたいな液体を吐く頻度が高くなり、冬にいたっては毎日のように吐いていました。吐いた後はキャットフードもよく食べ、便通もきちんとあるのですが、やはり吐いている時は苦しそうでこちらも心配になってきました。
 インターネットでそんな症状を検索するといろいろと出てきました。その中にナチュラルフードにすると吐かなくなったという記事がありましたが、この辺では売っていません。それでとりあえずアマゾンで注文してみました。
 カリフォルニアナチュラルキャットフードのチキン&玄米というものです。スーパーやデパートで売っているものより値段が高いですが、それまでサイエンスダイエット(獣医の先生に薦められて購入。以来下痢がなくなっていました。)を与えていたのでそれほどでもありません。これだけでは食べなかったのでサイエンスダイエットのライトの缶詰タイプを混ぜてあげたところ、食欲がでました。嬉しいことに吐くこともほとんどなくなりました。
 昔と違って今はペットを室内で飼うので、立派な家族の一員です。いつまでも元気でほしいですね。こちらのいうこともよくわかるし、こちらも何がいいたいのかわかってきます。同じく猫を飼っているひとから聞いたり、ネットで調べると一般に出回っているキャットフードだと病気になる率が高い気がします。うちの子も食物アレルギーのようで、小麦、コーン、大豆、人口保存料を受け付けないみたいです。ペットは食べるものを選ぶことができないですから、日頃から健康状態をよく見て上げることが大事ですね。いまはアインホルンというネット通販しているお店からカリフォルニアナチュラルフードを買い始めました。商品とともにケアの丁寧なアドバイスが添えられています。お店のペットへの愛情も伝わってきます(^^)。
 いまはペットとともに快適な生活ができてしあわせです(^^)。