2018年5月17日木曜日

懐かしい記事

みなさん、こんにちは。

先ずは残念なお知らせです。先日ブログ記事にもしました、石原彰二氏個展開催中のコンサートですが、ギックリ腰による体調不良のため中止となりました。関係者の方々にはご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
   突然のアクシデントのため、整体院に通院して、自宅では体を安静にしております。それで写真を整理しておりましたら、懐かしい新聞記事がでてきました。以下、事実と相違する点を訂正した上で、記事の文章を掲載させてもらいます。

桐生タイムス
2012年(平成24年3月8日木曜日)
夢を追いかけて146
田村ひろさん(46)
タイトル「ボサノバに心癒されて」

   軽やかなリズムに心地よいメロディー、人間関係に疲れていた心に、ボサノバが染みわたった。34歳のとき、渡伯までしたのだから、ボサノバが人生を変えたと言っても過言ではない。ブラジルでは大学教授や現役ギタリストから個人レッスンを受け、基礎から学び直した。ただ、そこで得たものは“本場の音”だけではない。きさくで陽気なブラジル人の温かさに触れられたのは「人生の財産」になっている。
   音楽は好きだったが、人前で歌うことなど考えたこともなかった。きっかけはテレビで見た小野リサさんの弾き語り。衝動買いしたギターが押入れにあるのを思い出し、譜面を見ながら練習してみると、ポルトガル語も肌に合い、「すらすらできるようになった」。
   仲町の飲み屋で初めは演奏のアルバイト。ソロコンサートもするようになると、地方での活動ではあきたらずに東京へ出た。アルバイトで生計を立てながらボサノバ教室へ。「ボサノバの法王と呼ばれるジョアン・ジルベルト氏にちなんで「日本のジョアン・ジルベルト」といわれた中村義郎氏から指導を受けられたのは幸運だった。
   ジルベルト氏の妻だったミウシャさんにリオデジャネイロで会った。どうしても聞きたいことがあったのだ。
   レコード会社の知人の紹介で、楽屋を訪ねて演奏すると、「ペルフェイト」(完壁)の称賛。マネージャーから1回だけの演奏を許されていたが、ミウシャさんからアンコールを求められ、結局5曲歌った。
   桐生市内で演奏活動を始めたばかりのころ、ざわつく会場で歌声がかき消され、先輩ミュージシャンから「声が小さい」とたしなめられたことがあった。しかし、ジルベルト氏のCDを聴くと、決して歌声は大きくない。ギターもなでるように弾いていた。自分の演奏はこれでいいのか。ミウシャさんからもらったアンコールがその答えになった。
   帰国後、コンサート活動などでボサノバの普及に努めていたが、指の故障で2年間中断。その間、考えたのは幸せとは何か。イタリア系ブラジル人のおばあちゃんの家の一室を曲がりしたリオでの生活は人情味豊かであり、手作り料理を分け合う近所づきあいが子供のころに見た日本の風景だったことも思い出した。
   活動再開後は、ロハスとリラクゼーションをテーマに「愛とほほえみと花~くつろぎのボサノヴァコンサート」と題したコンサートを開催。「人と人がつながり合い、人と自然が共生してこそ健康で幸せに生きられるというメッセージをボサノバという音楽を介して伝えていきたい」

   6年前のことですが、さすがプロの記者の方。短いインタビューから的確な記事を書いていただいたと思います。この頃から、自分の演奏活動のポリシーの核は、今までぶれていないことを再確認しました。身体も順調に回復しているので、また、精力的に活動していこうと思います。

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