2009年12月28日月曜日

富士山

1泊2日で山梨県の甲府市に行って参りました。わたしの町桐生市と同じ盆地なのですが、飛騨の高山からの風が吹き付ける甲府市の寒さは半端ではなく冷たかったです。

泊まったホテルからはちょうど富士山を拝むことができました。朝8時前だったのですが、快晴でよく見えました。周りも高い山のせいでしょうか、筋状の長い雲がいくつもたなびいていて、まるでたくさんの龍が空を泳いでいるかのようでした。

写真を携帯電話のカメラで収めたので、はっきりしていないのですが、載せておきます。一番最後の写真はわたしの真上を大きな長い雲が走っていたので、写真を撮ったら、なにやら黄金色が映り込んでおりました。

甲斐の地は不思議なたなびく雲で覆われていました。


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2009年12月24日木曜日

2012 Time for Change

巷では「2012年」という映画の話題があるようですね。巷であまり話題になっていないようですが、「2012 Time for Change」という映画もあります。前者が星を司るもの達の情報で、後者が太陽を司るもの達の情報とお見受けしました。このような情報が広く世に出て来るのも、新しいパラダイムがもうそこまで来ている兆しなのかもしれませんね。



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2009年12月19日土曜日

「この花の会」を発足しました

昨日、桐生市民活動推進センター”ゆい”において、自己実現のための気づきの場、「この花の会」を発足しました。わたしが代表を務めますが、本当の自分の思いを実現するための気づき、情報を得る、または情報を交換してお互いを高め合う場となればと思っています。会費は無料です。昨日は寒い中、6名の方にお集りいただき、打ち解けた中でお話し合いの場を持つことができました。お集りいただいた方々には深く感謝申し上げます。月に1回、定例の会として、末永く続けていけたらと思っております。わたしのウエブサイトの方に、行われる場所、日時などお知らせしていきますので、気軽にご参加していただけたらと思っています。

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2009年12月6日日曜日

キャンドルナイト

4日金曜日に行いましたゆいでのミニ・ライブに19名のお客さんが来てくださいました。ありがとうございました。お客として来ていただいた蓼沼さんにはケーキを差し入れていただき、お客さんに振る舞われました。蓼沼さん、どうもありがとうございました。何分それほど広くないスペースなので、テーブルといすを置きますとちょうどいい人数ではなかったかと思いました。次回は1月8日(金)に行われますが、次回はもっと桐生市民の方に多く来ていただければいいなあと思いました。

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2009年11月28日土曜日

ロスト・ジェネレーション

先日27日(金)、FM桐生「喫茶アクション」にゲストとして出演し、ボサノヴァを3曲歌ってまいりました。通りがかりのブース越しの方々に拍手していただき、とてもうれしかったです。

パーソナリティの宮坂さんと同行したゆいの豊田さんと、年代がそれぞれ違うのですが、それぞれに共通なつながりがあり、番組の中でのお話しはとても楽しかったです。桐生出身でないおふたりが桐生を大好きだというのがなにより嬉しかったです。

ですけど、宮坂さんは30代、豊田さんが20代でおふたりともバブル時代のひとびとが浮かれていた日本を知らず、ひたすら衰退した日本の社会しか経験していないのですね。昔の桐生市は機織りどころとしてとても栄えていた町でした。わたしが子供の頃は本町の通りの賑わいがまるで東京のようでした。それがいまは日曜日ともなるとひとも歩いていない。自動車も通らない有様です。

量子物理学でも明かされているように、わたしたちはみなエネルギーです。東洋的にいうと「気」です。ちなみに地球は大”気”で覆われていますが、やる”気”、元"気”がなければ、思いはかたちとなれません。小さなことでもいい。若い世代のひとびとにはしあわせになる、希望を持てる”気持ち”をもっていただきたいと思います。

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2009年11月25日水曜日

FM桐生再出演

12月4日(金)に桐生市民活動推進センター”ゆい”にて「キャンドルナイトゆい ~ ゆらぎのひかり」というタイトルで演奏場所をキャンドルで彩り、ボサノヴァを楽しむライブをやらせていただくことになりました。あたたかい炎と音楽のゆらぎを楽しんでいただけたらと思います。その告知をかねて、センター長さんの角田氏が出演されているFM桐生「喫茶アクション」(パーソナリティ宮坂あつこさんPM1:00から)に11月27日出演することになりました。生演奏も予定しています。当日はゆいのスタッフ豊田さんも出演されます。桐生市内の方でよろしかったら聞いてみてください。ライブの詳細はわたしのウエブサイトをご覧下さい。

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2009年11月15日日曜日

しあわせの言霊

Google FeedBurnerというものがあって、わたしのブログを現在購読してくださっている方が5人もいらっしゃることがわかりました。いつもお読みいただきありがとうございます。とても嬉しいです。

以前、買っておいた本に「マスターの教え」(飛鳥新社刊)という本があって、読み返していました。そのなかに、自分が力になる言葉を朝、夜見て、それを味わってみるというたぐいのことが書かれていました。

早速、「幸せ」「豊かさ」「健康」「成功」などと書いたもの(いまはもっとたくさん増殖しています)を見て、実感してみるようにしたところ、心身ともに、なにかとってもすっきりした状態にいられるようになってきています。美しい言葉を見て、感じることで、結構日常でもその言葉の波動が自分のなかにいつもとどまっているようで、ふいに言葉が浮かんできたりします。

わたしの場合、溝うちやももの辺り、肩の辺りがこわばるくせがあって、不快感があったのですが、それが消えたのでみなさんにおすすめします。

参考図書:「マスターの教え」、ジョン・マクドナルド著、飛鳥新社刊

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2009年11月12日木曜日

無限の可能性

去年、「全力!Tunes」という日本テレビの番組をよく見ていました。将来の大物アーティストを目指す子供達を発掘して、紹介する番組でした。

スポンサーはマクドナルドで、社長さんの原田泳幸氏はドラムの腕前が玄人はだしです。

この番組の中で影山遙ちゃんという10歳の女の子がハードロックのマイケル・シェンカーの曲をギターで弾き、ゲストの大人達を唸らせていました。

ふとYouTubeで彼女の新しい動画がアップされていたので、見たのですが、これは驚きです。音色といい、フレーズといい、みな意図して表現しているのです。彼女の将来がとても楽しみです。



彼女に限らず、番組に出演していた子供達は身体の大きさのハンディキャップをものともせず楽器を操っていました。逆にわたしのように大人になってから楽器を弾いていると、ついつい自分に限界をつくってしまいます。もちろん、みなそれぞれ壁を乗り越えてうまくなっているのでしょうが、現代の子供達をわたしの目から見ると無限の可能性を感じます。

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2009年10月31日土曜日

さりげないやさしさ

この間近くのスーパーマーケットに買い物に行きました。レジで会計するときに、そのレジ係のひとが品物を移す前に、わたしの前のお客が使った買い物カゴの中を丁寧にふいて、ニコッと笑ってあいさつしてくれました。その一連の所作がとてもあたたかく感じて、その日は一日がとてもうれしい気持ちでいました。

以前リオにいたときに美術館で日本映画の上映をしていたときがあって、行きました。小津安二郎監督の名作「東京物語」と特撮映画「ガメラ」リメイク版という奇妙な二本立てでした。「東京物語」での老夫婦の暮らす広島県尾道市のシーンでは、みなおおらかで、物腰が柔らかい姿が描かれていました。往来で人々がニコッと笑って深々とお辞儀をする挨拶の姿をブラジル人の観客は笑っていましたが、わたしは日本人の、人を敬う気質を見た気がしました。そしてわたしが子供だったころの近所の人々の姿が思い出されて涙があふれてきました。日本人の心にはまだこの心持ちが確かに残っている、眠っているという気持ちがしました。本来の日本人の繊細さ、やさしさをたくさんの人々が取り戻せば、日本はもっともっと幸せな国になると思っています。

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2009年9月11日金曜日

FM桐生

今日は地元FM局、FM桐生の午後1時からの生放送番組「喫茶アクション」に出演させていただきました。

パーソナリティーの宮坂あつこさんと出演者の久我恭敬さんもボサノヴァがお好きだとのことなので、リラックスして楽しくお話しすることができました。1曲、ギターの弾き語りで演奏しました。

オープニング曲がジョアン・ジルベルトの「3月の水」だそうで、ボサノヴァつながりのご縁を感じました。

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2009年9月5日土曜日

自然と共生するなかでテクノロジーを活用する

去年から裏庭で家庭菜園を初めています。去年の水菜は苗を買ってきて育てたものを食べましたが、今年は種まきからしてみました。種をポットにいれて始めてみました。最初、外に置いておいたら、ナメクジになめられ、あえなく失敗。2回目は2回のベランダに置いて苗を育てました。土の方も石灰を入れて耕しました。去年の出来よりもよくなっていて、愛しさもひとしおです。端のほうの水菜は青虫くんががっちり食べてしまいました。ま、それだけおいしいということですねえ。今年は家族もなす、きゅうり、トマトを育てたので形は悪いですが、それらをおいしくいただきました。

おとといはテレビ東京の番組「ルビコンの決断」で農業にITを活用し、サラリーマンとして、日曜、祝日を休め、所得も豊かに働いている様を放送していました。古くて時代にそぐわない慣習はなくし、尚かつよい知恵は継承していき、環境にやさしいテクノロジーを活用していけば、これからの未来はとても明るいものがあると感じました。

ボサノヴァの弾き語りというのは完全アコースティックなのですが、そのままではとても小さい弱音で、生音ではとても人様の前で演奏するには耐えません。いまのコンパクトな音響装置では、ボサノヴァのもつ微妙なさじ加減を表現しきれません。本格的に演奏するとなると、バンドでの演奏の装置と同じく、マイク、アンプ、ミキサー、スピーカー、モニタースピーカーなど、一揃え必要です。安価でコンパクトで、どこでもすぐに演奏できて、なおかつアコースティックな音をきっちり再現できる音響装置の登場を望んでいます。

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2009年8月18日火曜日

ぼくらはみんな生きている

わたしの家の近くは田んぼがあり、たまに散歩に行きます。田んぼにいるおたまじゃくしも、もうかえるに成長しました。おとといからは秋の気配がしています。

わたしがまだ子供だった頃は自然と接する機会がたくさんありました。祖父母がいた群馬県中之条町では道端の沢でたくさん沢ガニを獲りました。地元桐生市の山でも父親と一緒にミヤマクワガタやサンショウウオ、ホタル、ウナギなどを獲りにいきました。近くの沼にも子供たちだけでザリガニを獲りにもいきました。いまある田んぼにも、その当時はタニシ、ゲンゴロウ、どじょう、イナゴ、バッタ、キリギリス、アマガエル、トノサマガエル、ウシガエルがたくさんいました。近くの栗林ではノコギリクワガタやカブトムシもたくさんいました。家の庭にもハンミョウやオケラ、大きなカタツムリがいました。

今現在田んぼに散歩に行くと、とてもさみしい思いをします。昔あんなにたくさんいた生き物たちがほとんど姿を消してしまっているからです。田んぼの畦道は除草剤が撒かれ草が枯れています。当然そこにいた虫達も死に絶えてしまいます。ですから、さみしさと共に怖いという思いがします。
昆虫達が死んでしまったということは、それをエサにしている鳥達の食料がなくなったということです。ですけど、そこには人間が食するお米になる稲だけが整然と生えています。わたしには、この風景は「私達人間が生きるための食べ物は育てさせてもらうよ。作物をつくっているときに、君たちがいて、作物を傷めるのはいやだから君たちはみな死んでくれ」と言っているように思えます。自然のバランスがくずれてしまったなかで、農薬を使わすに害虫を駆除するのは農業をやっていらっしゃる当事者の方達としては大変なことなのでしょうが、この状況を変えることはできないんでしょうか?害虫も殺しますけど、一緒に益虫も殺してしまうんですよね。自分の家にある家庭菜園でもアブラムシがかなり発生します。それを食べてくれるてんとう虫もかなり減っています。わたしの母親もすぐに除草剤や殺虫剤でことをすまそうとします。アブラムシにはミルクを撒くとよいようです。

どこかで聞いた話ですが、よい環境というのは多種多様な生き物がいて、その生き物のそれぞれの個体数が少ない環境だそうです。それが悪化すると、それぞれの個体数が多く、生き物の種類が少なくなるそうです。そうして見ると、大都会と呼ばれている東京はどうでしょう。特に都心では鳥はカラスしか見ることがないように見えます。しかも霊長類の”人間”の個体数が極端に多くありませんか。多種多様な生き物達が繁栄できない世界は、わたしには異様な世界に見えます。

ですから、いまも一区画のかたすみの田んぼにいるゲンゴロウやおたまじゃくし、アマガエル達を見ると、いまはとても愛おしく思います。昔こんな歌がありました。「手のひらを太陽に」という歌ですが、♪〜 ぼくらはみんな生きている(中略)トンボだって オケラだって アメンボだって みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ 〜♪」

量子物理学の世界では私達も含めて、すべて同じもの(ものではないですが)ですね。それがすべてが織りなして、この世界を形作っているんですよね。

今、この歌を思い出して、この歌詞の意味の深さを感じています。

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2009年7月23日木曜日

Eclipse

昨日の皆既日食をわたしはNHKのテレビ生中継で観ていました。

皆既日食の瞬間のダイヤモンドリングのなんと美しかったことか。

太陽の光の強さもすごいものがあるんですね。ほとんど欠けていても、かなりの明るさがありました。テレビ中継番組のゲストのひとも言っていましたが、この太陽の光の恩恵を受けて、私達は日々暮らしているんですね。ありがたいことです。

この地球上に生命として生きるというのは、絶妙の条件が整っているんですよね。私達はこの地球上に生かされていると思いますが、こうして生命を宿して生まれたのも意味がある気がします。もっと生きているということを大切にしていきたい、そう思います。

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2009年7月12日日曜日

あたたかいハーモニースペース

「珈琲美流」さんに置ける青陽氏の個展とのコラボコンサート、たくさんのお客さんにお越しいただき、ありがとうございました。今回も、ありがたいことに満席となりました。お越し下さったみなさん、どうもありがとうございました。おいしいコーヒーとケーキを出してくださった珈琲美流ご夫婦、コラボしてくださった青陽さんにもあらためて感謝します。

コラボレーションというのは、わたしにとっては初めての体験でしたが、青陽さんの絵にはどことなく、ボサノヴァと共通のバイブレーションを感じていたので、違和感はまったくありませんでした。


演奏中も、演奏後もお店の中の皆さんと視覚と聴覚と味覚の”あたたかい”空間と時間のハーモニーを感じて、お互いにこうした空間、時間を共有することは素晴らしいと感じました。


奇しくも、この日は、お店で育てているコーヒーの木の花が初めて咲きました。なんとなくご縁のある富士山には木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)が祀られているのですが、これからの時代、ひとりひとりが自分らしさを出して、”個の花”を咲かす事ができたらと思います。


青陽さんの個展は珈琲美流にて今月の26日まで開催しておりますので、ぜひ行かれてみてください。ノスタルジーをテーマにされて、観た人の心にあたたかさを与えてくれると思います。

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2009年7月4日土曜日

演奏のお知らせ

この度、群馬県桐生市の「珈琲美流」さんでふたたび、7月11日(土)に演奏させていただくことになりました。こちらでは、6月30日(火)から7月26日(日)まで、桐生市在住の青陽氏のイラスト展『記憶ノート』を開催しています。今回は当日、青陽氏本人も来られ、コラボレーションということで、演奏させていただきますので、ぜひお越しいただければと思います。

当日はボサノヴァの有名曲を弾き語りし、エコロジー、ヒーリングに関したお話しをします。


・日時 7月11日(土) PM2:00開演 

・場所 珈琲美流 群馬県桐生市新里町小林115 SDハイツ
 
・入場料 ¥1,500(コーヒー、ケーキ付き)

・ご予約 0277-74-0319 珈琲美流まで 

・お店のウエブサイト : http://www.justmystage.com/home/coffeemiru/

・青陽氏のブログ:http://seiyoufree.exblog.jp/


・こちらのブログ記事もご覧下さい。:
http://54820276.at.webry.info/200803/article_23.html


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2009年6月29日月曜日

ひとの創造力

わたしはApple社のパソコンを愛用しています。初めて買ったのはOSがウインドウズのノートブック型パソコンでしたが、Apple社のパソコン、マッキントッシュ(以下マックと記述)の直感的なインターフェース、何より、筐体とOSの画面の美しさに惹かれました。そして初期の傑作、初代マック以来のあこがれのパソコンだったからです。

そのApple社の創業者の一人でもあるスティーブ・ジョブズ氏にも、何故か昔から興味を持っていました。1980年代当時、パソコン業界で隆盛を誇っていたIBM社(現在IBM社はパソコン業界から手を引いていて、当時からしたら信じられません。)にApple社はなびかず、自社のみで製品開発をしていて、そういう反骨精神に共感していたのかもしれません。

ジョブズ氏はスティーブ・ウォズニアック氏と共に2人でフォルクスワーゲンのトラックを売った資金を元手に、ガレージでコンピュータの基板をつくりました。これがApple社の最初の製品となりました。その後、コンシューマー向けのパソコン、マッキントッシュ(通称マック)が大成功し、ジョブズ氏は一躍、億万長者になりました。

その彼がマックで大成功を収めていた当時、1985年、雑誌のインタビューで、記者から、コンピュータはこれからどう変わるかと聞かれ、29歳のジョブズ氏は「将来、家庭にコンピュータを備える最大の理由が、コミュニケーションの全国的なネットワークに参加するため、ということになるでしょう。電話に匹敵する、注目すべき飛躍的な進歩です。つらいのは、世間は具体的な答えを求めるのに、ぼくらはそれが出せない事ですね。」と語っています。まだ、この当時はインターネットが存在しませんでした。そしてジョブズ氏は人類のコミュニケーションの飛躍に貢献したグレアム・ベルの電話の発明の偉大さを熱く語っています。

その後、ジョブズ氏は自ら引き抜いて据えた経営責任者によって、Apple社を追い出されてしまうのですが、彼は新しくNeXT社を立ち上げ、このワークステーションで最初のWebサーバとウェブブラウザが試作され、インターネットの先駆けとなりました。そしてもうひとつの立ち上げた会社、3D CG映画の会社、Pixer社が大成功を収め、1996年Apple社に返り咲きます。以後、大胆で革新的なパソコンを次々と発表し、また、iPodの発売によって傾きかけていたApple社の経営を立ち直らせました。

そして2007年Apple社はiPhoneを発表します。ジョブズ氏はその発表会で、「今日Appleは電話を再発明します。」と言いました。そして現在、iPhoneは世界で2008年第4四半期までで1300万台以上を販売したそうで、世界のコミュニケーションのあり方に多大な影響を与えています。

わたしの視点で、このジョブズ氏にまつわる一連の出来事は、まぎれもなくジョブズ氏がApple社を立ち上げた初めから持ち続けていた”世界のコミュニケーションの発達に貢献したい”という”思い”が、世界中をも動かす創造を実現したように思えます。聖書に「芥子粒ほどの信念があれば山をも動かす」というキリストの言葉が有りますが、ジョブズ氏の’世界のコミュニケーションを広げる’創造はまさにこれではないでしょうか?

それから、人の”思い”の創造が実現される要素は、その”思い”は宇宙、世界に貢献できるか?そして、その”思い”を持ち続けることができるかだそうです。

あなたはどんな”思い”を実現したいですか?

参考資料 MAC POWER 2009.Vol.1、モノマガジン No.274、月刊プレイボーイ1985年3月号、ウィキペディア

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2009年6月18日木曜日

Dancing Hero

といっても、荻野目ちゃんの歌のことではありません。←この話題についてこれる方いますか?

そうではなく、最近話題になっている自己流で独特の踊りを世界中でした男性のことです。



1976年生まれ。アメリカ人のマット・ハーディン(Matt Hardin)氏はビデオゲーム開発者でしたが、殺戮ゲームの開発に嫌気がさし、会社をやめて旅を始めます。旅行中に撮影したそのダンスシーンのビデオが電子メールを通じ、口コミで話題がひろがったそうです。それをチューインガム・メーカーがスポンサーとして、お金を出し、旅行費を工面し、最終的にいま話題となっているビデオへと結実します。

本来のありのままの彼の表現が、共感を呼び、そして世界中のひとびとがその単純ですけど、純粋な喜びを共有するにいたった。わたしは何回観ても感動します。彼の踊りも最初のバージョンと最後のバージョンでは進化しているところも感動です。

人は思いと言葉と行動で自分というものを表現します。あなたはどんなことを思い、願い、言葉に表し、行動しますか?

このビデオのいきさつについてはこちらで詳しく知ることができます。
http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20081116/1226825792

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2009年5月31日日曜日

アニソン万歳

昨日NHK-BSで放送していたアニソンのど自慢大会を見た。ゲストのおひとりが”アニキ”こと水木一郎氏であった。メドレーでヒット曲を歌ったのですが、全曲一緒に歌えました。出場者へのコメントとしておっしゃっていましたが、アニメソングは言葉をはっきりと伝えられる歌が多いことだそうです。なかでもアニキの歌は楽曲も素晴らしいのですが、他のプロの出演者の歌と比べても、こちらの胸にせまってきて、情感、エネルギーまでしっかりと伝わるのです。

アニメというと昔は軽視されたりしましたが、今や世界の文化になっています。わたしがリオ・デ・ジャネイロにいたときも、近くの元大統領官邸のある公園でブラジル人によって、盛大に催されていました。そこではアニソンのカラオケ大会が行われていて、みんなでドラゴンボールZの主題歌を歌っていました。日本人とブラジル人の懇親会では、金髪でイケメンの男の子がアニメガ大好きで、「日本に行きたい、日本に行きたい」と言っていました。このようにお互い違う文化をもった民族がなかよくつながれる、共有できるって素晴らしいと思います。

最近ではカナダ人の女の子がアニソンのオーディションに合格し、TVアニメ「戦場のヴァルキュリア」の主題歌でデビューしたHIMEKAさんというひとがいます。驚くべきことに歌での彼女の日本語の発音は完璧です。そして歌の言葉が伝わってくるのです。その前に演歌でデビューしたアメリカ人のジェロさんがいますが、彼は母親が日系人で日本語に接していた経緯があります。彼女は独学で日本語を勉強したそうで、わたしも同じ経験をしているので、とても努力されたのではないかなと思われます。わたしとしては今、もっとも思い入れのあるアーチストです。

それにしてもアニキは素晴らしいです。このままいつまでも古き良きアニソンを若い世代の人達に伝え続けてもらいたいです。2000年に都営バスの中吊り広告にあった言葉「伝える、続ける、つながる」それを体現しているアニキは素晴らしい!アニキ万歳!アニソン万歳!

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2009年5月30日土曜日

他人を祝福するといいことある?

ここのところ3日間めちゃくちゃ腰が痛かったです。車の椅子に腰掛けているだけで、じんじんと痛みが増す始末でした。

それで、あまり動かさずにじっとしていることにしました。以前うかがった接骨院の先生が痛みは疲労物質がそこに溜まっていることを知らせているものだとおっしゃっていたので、これは自分の体が疲れが溜まっていますよと知らせていることに感謝し、疲労物質が血液とともに流れていっていることをイメージしてみました。以前、自力整体というものもやっていたので、少しずつよくなったところを動かしてみました。

そうしていた昨日、フジテレビのニュース番組で、立道聡子さんという盲目のシンガーソングライターの暮らしを追ったドキュメンタリーを放映してるのを見ていました。ご夫婦でともに盲目なのですが、授かったお子さんは健常者で、幼いながらも両親を献身的に、健気にサポートしています。

彼女がメジャーデビューをするということで、お祝いに夫婦で銀座のレストランに行きました。そのしあわせそうなおふたりの姿がとてもほほえましく、誰にだってしあわせが訪れることがきっとあるんだということに感動していました。

そのほっこり感とともに寝床にはいり、朝起きてみるとどうでしょう。あんなに痛かった腰の痛みがすっかりなくなっていたのです!こころのなかが幸せ感に満たされてリラックスしていると体のこわばりもなくなってくれるのでしょうか?

2009年5月25日月曜日

わたしの音楽遍歴4

高校生になると相変わらずロックを聴いていましたが、あるテレビ番組を見たのがきっかけでTOTOを好きになりました。アメリカのライブハウスでのステージを放映していました。特にギターのスティーブ・ルカサーが好きでした。というのも、レコードと全然違うアドリブ・フレーズを弾いていて、それがとてもカッコよかったんです。わたしにとって最初のギター・ヒーローです。

それでグレコのレス・ポール・モデルを地元の楽器店で買ったのですが、コードすら弾けず、アンプも買わず、すぐにエレキギターは投げ出してしまいました(涙)。

高校時代の思い出といえば、なによりも映画でした。当時は地元桐生市に映画館が4軒ありました。高校に入り、初めて友達と観た映画が「転校生」と「スターウォーズ/エピソード4日本語吹き替え版」でした。「スターウォーズ」を目当てに行ったのですが、ちょうど思春期だったこともあり、「転校生」を観て、大感動しました。県内で通算13回観たと思います。当時はセリフまで憶えていたくらいです。それをきっかけに「キネマ旬報」、「スターログ」といった映画雑誌を買って、いろいろな映画を都内の名画座まで行って観るようになりました。好きな映画が封切られているときは授業をさぼって観に行きました。おかげで担任に呼び出され単位を落としてしまいそうになったぐらいでした。

その「転校生」の中で流れてたクラシック音楽がまたすばらしかったのです。「G線上のアリア」、「アンダンテ・カンタービレ」、なにより主人公が級友の甥っ子のラジコンカーを直してあげるときに流れる「タイスの瞑想曲」はそのシーンとともにいまでも感動するくらいです。

加えて、宮沢賢治原作、杉井ギサブロー監督アニメ「銀河鉄道の夜」の中で流れるドヴォルザークの「新世界」も忘れられないものです。当時はそれらの曲を収録したアルバムを買ったりしてました。そうして映画を通してクラシック音楽のよさを知りました。

また、「ワンス・アポン・ア・タイム・アメリカ」、「アンタッチャブル」、「エクソシスト2」そして「1900年」といった映画を通して、エンニオ・モリコーネの音楽にふれ、ファンになりサントラ盤を買っていました。「デボラのテーマ」、「アダのテーマ」など、登場人物の女性のテーマ曲に特に素晴らしいものがあると個人的に思います。

映画というものが町とともにあったおかげで、自分の感性がとても磨かれた気がします。なにせ、トリュフォーの映画なども群馬県で観れましたから。

そこに流れていた音楽もみなすばらしかったです。本当に感謝せずにはいられません。ありがとう映画!(つづく)。

2009年5月19日火曜日

わたしの音楽遍歴3

中学生になると当時のクラスではフォークギターを弾き始める子が出てきました。アリスとか長渕剛あたりの曲を歌っている子が多かったでしょうか。

わたしがいたクラスにはたまたま甲斐バンドが大好きな子がいて、その影響でロックに興味をもつようになりました。確か、その頃にベストヒットUSAというアメリカのヒットチャートの番組が始まり、ディスクジョッキーを小林克也氏が務めていました。

また、その頃我が家にソニー製のコンボステレオが来て、オーディオにも興味が出ました。その当時、サウンドレコパルやFMレコパルといった雑誌があって、購読し、エアチェックテープをつくるようになりました。

サウンドレコパル誌の記事に、小林克也が米軍放送(FEN)を聞いて英語を話せるようになった、という記事があって、とてもあこがれました。また、違う小林氏の記事の中で、お気に入りのアーチストを紹介していて、その中でローリング・ストーンズを紹介していました。そこでミック・ジャガーはしゃべるときはブリティッシュだけど、歌うときは黒人訛になると書かれていて、クールだなと思いました。

以来、初期のストーンズのレコードを買ってR&B(リズム・アンド・ブルース)の曲を聴くようになりました。そこへRCサクセションが登場し、故忌野清志郎氏もR&Bが大好きだということで、黒人R&B歌手を聴くようになりました。その中でも強い衝撃を受けたのがシャウトの王様オーティス・レディングです。いまならメロウの貴公子サム・クックに傾くかもしれません。

とくに「ウイスキー・ア・ゴー・ゴーのオーティス・レディング」は当時よく聴いていました。オープニングの「I can't turn you loose」のリフでもう血が踊りだし、「These arms of mine」は意味もわからないまま聴いていて涙が止まらないほど感動しました。

中学生という一番多感な時期にオーティスと出会えたことはわたしの人生の宝です。歌はソウル、ハートなんだと気づかせてくれました。

余談ですが、2000年のリオに行く前にオーティスが夢枕に立ち、「深く呼吸しろ。そうしないと続かないぞ」と言われました。あれはいまでも鮮明に憶えています。(つづく)

2009年5月17日日曜日

ありがとうございました。

原宿のクリスティさんのライブコンサート、たくさんの方に来ていただきありがとうございました。ボサノヴァのあたたかい波動をみなさんと共有できてしあわせでした。

主催してくださった磯辺さんとクリスティさんにも感謝を申し上げます。また、いい忘れてしまいましたがクリスティのスタッフさんにもいろいろとお世話になりました。ありがとうございました。

今回お招きしていただいた磯辺さんは大学生時代に南佳孝氏と音楽サークル仲間で一緒にボサノヴァを練習していたとのことで、今回サプライズとして「イパネマの娘」を一緒に歌っていただきました。








初めてうかがったのですが、雑踏の竹下通りからすぐにはいったところなのですが、とても落ち着ける雰囲気で、まるで都会のオアシスです。

2009年4月22日水曜日

お知らせ

mixiの方からのご紹介で、原宿の紅茶専門店「クリスティー」さんで5月16日(土)に演奏させていただくことになりました。当日は入れ替えなしの一部のみの演奏ですが、ボサノヴァのもつ「愛とほほえみと花」のヴァイブレーション(波動)を感じていただけたらと思いますので、どうぞお気軽にお越しください。

当日はボサノヴァの有名曲を弾き語りします。

お店は20年以上の歴史があるそうです。竹下通りを少し入り、”ブラームスの小径”の入口にある、落ち着いたお店です。

・日時 5月16日(土) 19:00開演 

・場所 クリスティー原宿店 

・料金 ¥2000 (飲み物とおつまみ付き) 

・定員 35名 

・お申し込み 03ー3478ー6075 クリスティー塩田

・お店の携帯サイト : http://www.just.st/?in=7179407

・こちらのブログ記事もご覧下さい。: http://blogs.yahoo.co.jp/si_ttoku/56371283.html

2009年4月21日火曜日

わたしの音楽遍歴2

2009年 4月 10日 金曜日

わたしが自分からすすんで音楽を聴き始めたのは中学生からでして、小学生時代はテレビ番組の主題歌を集めたものを親から買ってもらっていました。

その当時の我が家ではオムニバスの映画音楽のレコードをよく聴いていた気がします。

ですが、やはりその頃の思い出として残っている音楽といえばテレビ番組の主題歌、特にヒーローものの主題歌ですね。ウルトラマン、ウルトラセブン、デビルマン、マジンガーZ、サスケ、レインボーマン、そしてなんといっても富田勲氏が手がけたキャプテンウルトラのテーマです。

そして、小学校の高学年になると引っ越した先の隣の一年年長の子がビートルズを聴くようになり、遊びに行くとレゴブロックで何かを作りながら、BGMに流れているという感じでした。ビートルズを聴いて音楽に目覚めたというひとがよくいますが、当時の子供のわたしにはピンときませんでした。

今ビートルズの曲の好みとは全然違い、当時印象に残っていたのは「イエロー・サブマリン」でした。当時は楽器とは無縁な少年でした。(つづく)

わたしの音楽遍歴1

2009年 4月 5日 日曜日

今回は、いつもと趣向を変えて、自分のリスナーとしての音楽遍歴を振り返ってみようと思います。

経済の高度成長のおかげで、わたしが生まれた頃、我が家にもビクターのステレオ装置がやってきました。一応プレーヤーとスピーカーが別れているセットでした。

昔のステレオは試聴盤のレコードがついていたようです。その中にハリー・ベラフォンテやロス・インディオス・タバハラスがあって、その音はなんとなく自分の記憶に残っています。

若い頃の父親はムード歌謡が好きで、鶴岡雅義と東京ロマンチカをよく聴いていました。ラテン音楽の素養はもしかしたら、この頃養われたのかもしれません。(つづく)。

愛と微笑みと花No.2

2009年 3月 24日 火曜日

エントリーが遅れましたが、さる3月14日、自然食レストラン「みもざ」さんで、2回目の「愛と微笑みと花〜やすらぎのボサノヴァ・コンサート」をさせていただきました。当日、申し込まれたお客さんをお断りするほど、多くの方々に来ていただきました。ありがとうございました。

当日は37回目の結婚記念のご夫婦がみえて、わたしもボサノヴァの名曲「Eu sei que vou te amar(あなたを愛してしまう)」を献歌させていただきました。お二人にも気に入っていただけたようで、うれしかったです。

最近、思うのですが、“祝福”ってとても素晴らしい事に思います。祝福するほうも、されるほうも、共にしあわせと喜びを感じられる、分かち合える、そんな気がします。身近なひとにも、身近なことにも素直に祝福できる、そんな習慣が生まれるといいかなと思っています。

昨日は「みもざ」さんにお客として食べにいってまいりました。有機野菜だけのおまかせのランチなのですが、バラエティに富んでいて、お世辞抜きに大満足でした。お値段も1000円以下です。なかでも、中国野菜の紅菜苔(こうさいたい)はとくに味付けもしていないにもかかわらず、なんともいえないおいしさで、野菜を食べて、生まれてはじめて感動しました。自分の歌うボサノヴァもシンプルでいつつ、こうありたいと思いました。

店内はオーナーの須田小春さんの絵つけされたお皿や陶器が展示されていて(販売もされているようでした)、窓からの眺めもとても美しくて楽しめます。木曜日と第2・4土曜日と日曜日がお休みだそうです。野菜だけのお料理とは思えないほど満足できます。みなさんも1度、ぜひ行けれてみてはいかがでしょうか?

みもざ
群馬県渋川市赤城町津久田4017−3
TEL/FAX 0277-56-7955

ようこそ地球へ

2009年 3月 6日 金曜日

3月1日の日曜日、子育て支援ボランティアサークル「あひるのこ」(三澤章子氏主催)の催物のひとつとして演奏させていただきました。


ほとんどのオーディエンスが赤ちゃんとその親の若いご夫婦なので、演奏に対するリアクションがどんなものかちょっと不安がありました。

演奏を開始して、どんな音楽かわからないからでしょうか、最初のうちはお子さんが落ち着かない子もいましたが、みなさん静かに聴いてくださり、最後は赤ちゃんも眠ってしまい、ほっこりとした空間になりました。

このボサノヴァの弾き語りのスタイルを創ったのはジョアン・ジルベルトです。彼が一度リオで歌手として失敗し、お姉さん夫婦の家に居候します。そのときにギターの弾き語りのスタイルを完成させるのですが、いつも夜な夜な眠っている、お姉さんの赤ちゃんにギターを弾きながら歌ってきかせていたそうです。

あらためてボサノヴァの波動は子守唄にもなるやさしい波動なのだなと思いました。

いま現在の子供達を含め、生まれて来ている赤ちゃんはインディゴ・チルドレンといわれ、素晴らしい才能と高い波動の魂を持っているといわれてるそうです。確かにわたしの甥っ子たちをみていても、マニュアルも読まなくともすらすらとパソコンを使いこなしてしまいます。

その子達が明るく育つ社会であるために、わたし達大人が責任があるという自覚とそうなるための行動をしていかなくてはなりませんね。

つねに今からを起点にして、しあわせな社会で暮らそう、そういう社会に貢献していこうという気持ちでいきたいです。すべての人々、存在にその権利があって公使していける社会になってほしいです。

いまの社会は経済的に百年の一大事といいますが、わたし的には人類の精神と生活の大転換期に来た気がします。暗いことも多々あるのでしょうが、明るい希望に目を向けると、いくつも芽を出して来ている気がします。

明るい社会のメンバーになりたいです。唄を聴いてくれた赤ちゃんやそのお父さん、お母さんのお顔の表情を見ていて、みんなそのメンバーのような気がしました。ジェイムス・テイラーの「Secret of Life」という唄の歌詞にもありますが、「ようこそ、人類の仲間に」「ようこそ、地球へ」という想いを込めて歌わせていただきました。

地球の裏側からのメッセージ

2009年 2月 25日 水曜日

先週の20日金曜日、玉村町国際交流協会主催、ブラジル帰国者の日本人のお話しを聞く会に急遽参加し、歌わせていただきました。

帰国者のセンノ氏は50年間ブラジルで生活をされ、当日同伴された、その息子さんはブラジル人女性と結婚されている日系人です。

わたしがいたリオにも日系人のひとはいましたが、知り合った人々はブラジル社会で成功していた人達ばかりだったので、今回のように開拓移民のひとにお会いし、体験談を聞けたことは貴重でした。

センノ氏が渡った当時のブラジルでの状況は、日本で約束されていた言語のフォローもなく、働く地の地主が事業に失敗し、何の保証もなくなってしまっていたそうです。言葉もわからず、食べ物もなく、今の派遣社員の置かれているような、いやそれ以上の逆境の中で、氏は日本人の本来持っている勤勉さ、誠実さ、和を重んじる心で乗り切り、当地に日本人学校まで設立されました。

氏のお話しを聞き、その生き様と態度を見て思うのは、苦しいときも、状況をあるがまま受け入れ、前向きに行動し、教育を重んじ、いつも周囲への感謝を忘れないことです。

わたしを含めて、今日本人がブラジルで、ブラジル人にあたたかく接してもらい、信頼していただけるのも、このような無名の移民の方々の努力によるものが大きいのだなと強く感じました。

日本に「でかせぎ」と称して来られた日系人の中には日本に対して否定的な気持ちをもたれる人も残念ですが、います。わたしもブラジルの生活習慣、文化に馴染めないこともたくさんありました。

ブラジル社会は多民族国家であるため、自分の意志を言葉と態度ではっきりと表現するのが習慣です。対して日本社会はあいまいに表現します。

リオにいたときは、親しい人同士の挨拶であるハグやキスは、自然であり、親しさのバイブレーションを肌で感じられるとてもよい所作だと思いました。ですが、これを日本の中で日本人に対してはそのまま適応できません。それぞれの国の文化、習慣は様々で、大変ですが、その国ではその国の習慣に慣れるしかないのではないかと思います。

わたしは幸い、ブラジル音楽が本当に大好きだったので、自ずと音楽に関係する人々に出会う事ができました。好きだとバイブレーションは、言葉に頼って表現しなくても、自然と相手に通じるもののようです。好意の念や尊敬の念はコミュニケーションを通わすのに大きな要素のような気がします。