2009年5月31日日曜日

アニソン万歳

昨日NHK-BSで放送していたアニソンのど自慢大会を見た。ゲストのおひとりが”アニキ”こと水木一郎氏であった。メドレーでヒット曲を歌ったのですが、全曲一緒に歌えました。出場者へのコメントとしておっしゃっていましたが、アニメソングは言葉をはっきりと伝えられる歌が多いことだそうです。なかでもアニキの歌は楽曲も素晴らしいのですが、他のプロの出演者の歌と比べても、こちらの胸にせまってきて、情感、エネルギーまでしっかりと伝わるのです。

アニメというと昔は軽視されたりしましたが、今や世界の文化になっています。わたしがリオ・デ・ジャネイロにいたときも、近くの元大統領官邸のある公園でブラジル人によって、盛大に催されていました。そこではアニソンのカラオケ大会が行われていて、みんなでドラゴンボールZの主題歌を歌っていました。日本人とブラジル人の懇親会では、金髪でイケメンの男の子がアニメガ大好きで、「日本に行きたい、日本に行きたい」と言っていました。このようにお互い違う文化をもった民族がなかよくつながれる、共有できるって素晴らしいと思います。

最近ではカナダ人の女の子がアニソンのオーディションに合格し、TVアニメ「戦場のヴァルキュリア」の主題歌でデビューしたHIMEKAさんというひとがいます。驚くべきことに歌での彼女の日本語の発音は完璧です。そして歌の言葉が伝わってくるのです。その前に演歌でデビューしたアメリカ人のジェロさんがいますが、彼は母親が日系人で日本語に接していた経緯があります。彼女は独学で日本語を勉強したそうで、わたしも同じ経験をしているので、とても努力されたのではないかなと思われます。わたしとしては今、もっとも思い入れのあるアーチストです。

それにしてもアニキは素晴らしいです。このままいつまでも古き良きアニソンを若い世代の人達に伝え続けてもらいたいです。2000年に都営バスの中吊り広告にあった言葉「伝える、続ける、つながる」それを体現しているアニキは素晴らしい!アニキ万歳!アニソン万歳!

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2009年5月30日土曜日

他人を祝福するといいことある?

ここのところ3日間めちゃくちゃ腰が痛かったです。車の椅子に腰掛けているだけで、じんじんと痛みが増す始末でした。

それで、あまり動かさずにじっとしていることにしました。以前うかがった接骨院の先生が痛みは疲労物質がそこに溜まっていることを知らせているものだとおっしゃっていたので、これは自分の体が疲れが溜まっていますよと知らせていることに感謝し、疲労物質が血液とともに流れていっていることをイメージしてみました。以前、自力整体というものもやっていたので、少しずつよくなったところを動かしてみました。

そうしていた昨日、フジテレビのニュース番組で、立道聡子さんという盲目のシンガーソングライターの暮らしを追ったドキュメンタリーを放映してるのを見ていました。ご夫婦でともに盲目なのですが、授かったお子さんは健常者で、幼いながらも両親を献身的に、健気にサポートしています。

彼女がメジャーデビューをするということで、お祝いに夫婦で銀座のレストランに行きました。そのしあわせそうなおふたりの姿がとてもほほえましく、誰にだってしあわせが訪れることがきっとあるんだということに感動していました。

そのほっこり感とともに寝床にはいり、朝起きてみるとどうでしょう。あんなに痛かった腰の痛みがすっかりなくなっていたのです!こころのなかが幸せ感に満たされてリラックスしていると体のこわばりもなくなってくれるのでしょうか?

2009年5月25日月曜日

わたしの音楽遍歴4

高校生になると相変わらずロックを聴いていましたが、あるテレビ番組を見たのがきっかけでTOTOを好きになりました。アメリカのライブハウスでのステージを放映していました。特にギターのスティーブ・ルカサーが好きでした。というのも、レコードと全然違うアドリブ・フレーズを弾いていて、それがとてもカッコよかったんです。わたしにとって最初のギター・ヒーローです。

それでグレコのレス・ポール・モデルを地元の楽器店で買ったのですが、コードすら弾けず、アンプも買わず、すぐにエレキギターは投げ出してしまいました(涙)。

高校時代の思い出といえば、なによりも映画でした。当時は地元桐生市に映画館が4軒ありました。高校に入り、初めて友達と観た映画が「転校生」と「スターウォーズ/エピソード4日本語吹き替え版」でした。「スターウォーズ」を目当てに行ったのですが、ちょうど思春期だったこともあり、「転校生」を観て、大感動しました。県内で通算13回観たと思います。当時はセリフまで憶えていたくらいです。それをきっかけに「キネマ旬報」、「スターログ」といった映画雑誌を買って、いろいろな映画を都内の名画座まで行って観るようになりました。好きな映画が封切られているときは授業をさぼって観に行きました。おかげで担任に呼び出され単位を落としてしまいそうになったぐらいでした。

その「転校生」の中で流れてたクラシック音楽がまたすばらしかったのです。「G線上のアリア」、「アンダンテ・カンタービレ」、なにより主人公が級友の甥っ子のラジコンカーを直してあげるときに流れる「タイスの瞑想曲」はそのシーンとともにいまでも感動するくらいです。

加えて、宮沢賢治原作、杉井ギサブロー監督アニメ「銀河鉄道の夜」の中で流れるドヴォルザークの「新世界」も忘れられないものです。当時はそれらの曲を収録したアルバムを買ったりしてました。そうして映画を通してクラシック音楽のよさを知りました。

また、「ワンス・アポン・ア・タイム・アメリカ」、「アンタッチャブル」、「エクソシスト2」そして「1900年」といった映画を通して、エンニオ・モリコーネの音楽にふれ、ファンになりサントラ盤を買っていました。「デボラのテーマ」、「アダのテーマ」など、登場人物の女性のテーマ曲に特に素晴らしいものがあると個人的に思います。

映画というものが町とともにあったおかげで、自分の感性がとても磨かれた気がします。なにせ、トリュフォーの映画なども群馬県で観れましたから。

そこに流れていた音楽もみなすばらしかったです。本当に感謝せずにはいられません。ありがとう映画!(つづく)。

2009年5月19日火曜日

わたしの音楽遍歴3

中学生になると当時のクラスではフォークギターを弾き始める子が出てきました。アリスとか長渕剛あたりの曲を歌っている子が多かったでしょうか。

わたしがいたクラスにはたまたま甲斐バンドが大好きな子がいて、その影響でロックに興味をもつようになりました。確か、その頃にベストヒットUSAというアメリカのヒットチャートの番組が始まり、ディスクジョッキーを小林克也氏が務めていました。

また、その頃我が家にソニー製のコンボステレオが来て、オーディオにも興味が出ました。その当時、サウンドレコパルやFMレコパルといった雑誌があって、購読し、エアチェックテープをつくるようになりました。

サウンドレコパル誌の記事に、小林克也が米軍放送(FEN)を聞いて英語を話せるようになった、という記事があって、とてもあこがれました。また、違う小林氏の記事の中で、お気に入りのアーチストを紹介していて、その中でローリング・ストーンズを紹介していました。そこでミック・ジャガーはしゃべるときはブリティッシュだけど、歌うときは黒人訛になると書かれていて、クールだなと思いました。

以来、初期のストーンズのレコードを買ってR&B(リズム・アンド・ブルース)の曲を聴くようになりました。そこへRCサクセションが登場し、故忌野清志郎氏もR&Bが大好きだということで、黒人R&B歌手を聴くようになりました。その中でも強い衝撃を受けたのがシャウトの王様オーティス・レディングです。いまならメロウの貴公子サム・クックに傾くかもしれません。

とくに「ウイスキー・ア・ゴー・ゴーのオーティス・レディング」は当時よく聴いていました。オープニングの「I can't turn you loose」のリフでもう血が踊りだし、「These arms of mine」は意味もわからないまま聴いていて涙が止まらないほど感動しました。

中学生という一番多感な時期にオーティスと出会えたことはわたしの人生の宝です。歌はソウル、ハートなんだと気づかせてくれました。

余談ですが、2000年のリオに行く前にオーティスが夢枕に立ち、「深く呼吸しろ。そうしないと続かないぞ」と言われました。あれはいまでも鮮明に憶えています。(つづく)

2009年5月17日日曜日

ありがとうございました。

原宿のクリスティさんのライブコンサート、たくさんの方に来ていただきありがとうございました。ボサノヴァのあたたかい波動をみなさんと共有できてしあわせでした。

主催してくださった磯辺さんとクリスティさんにも感謝を申し上げます。また、いい忘れてしまいましたがクリスティのスタッフさんにもいろいろとお世話になりました。ありがとうございました。

今回お招きしていただいた磯辺さんは大学生時代に南佳孝氏と音楽サークル仲間で一緒にボサノヴァを練習していたとのことで、今回サプライズとして「イパネマの娘」を一緒に歌っていただきました。








初めてうかがったのですが、雑踏の竹下通りからすぐにはいったところなのですが、とても落ち着ける雰囲気で、まるで都会のオアシスです。