2013年1月31日木曜日

エッセイ3

群馬県内東毛地区で配布されているタウンわたらせの、2010年に掲載されたエッセイの第3回です。


タウンわたらせエッセイ3~ 自然と共生 ~
2010年6月19日第389号掲載

 わたしは生まれ故郷であり、今も住んでいる、この自然に囲まれ、水がきれいな桐生が大好きです。新宿で生まれたのですが、当時はまだ井戸がありました。新宿は講談社の創始者である野間清治氏が生まれたところでもあります。
 小学校一年生のときに相生に引っ越したのですが、クワガタ獲りや沢ガニ獲り、魚釣りなど父親と梅田や菱町へ山遊びによく行きました。近所の相生の松もよい遊び場でした。相生の松の周りは一面草原で、そこで風に吹かれながら空想に耽ったりしていました。わたしの時代は学校が終わると自由を満喫していたと思います。
 桐生は風水学的にみて絶妙の立地条件だそうです。風水では、北に主山、東西に山が連なり、南に低い山と水の流れ出る川があることが理想とされていて、北に御神山である赤城山を主山として東西に山々に囲まれ、渡良瀬川が中心を流れる、まさに理想的な土地です。桐生が自然の気に満ちた素晴らしい土地であるのを痛感したのは大学時代と三十代前半に東京暮らしをしたことからです。
 特に学生時代は板橋区の大山という住宅密集地で、どこに行ってもコンクリートに囲まれ、神経がイライラし、周りと人から受ける緊張感と圧迫感によるストレスは耐え難いものでした。ボサノヴァを習っていた三十代前半は武蔵野の入り口の田無に住み、暇があれば近くの小金井公園に行っていました。
 三十年以上前の小学生の頃、近くの相生の松の草原でよく遊んでいた頃は、仕事が終わるとご近所同士でお酒を飲み交わしたり、食事をしたり、談笑し、交流し合って、みんな、のどかに笑顔で暮らしていました。周りは畑や草地で色々な昆虫や野鳥がいました。庭にはおけらもいました。
 東京時代にいつも思い出していたのは、そんな桐生での自然のあるのどかな生活でした。そして自然との共生なしに人間は生きられないということを肌で感じたのでした。その草原のそよ風のノスタルジーはわたしの大切な宝物です。そのノスタルジーも込めて今わたしはボサノヴァを歌っています。

2013年1月30日水曜日

エッセイ2

群馬県内東毛地区で配布されているタウンわたらせの、2010年に掲載されたエッセイの第2回です。一部加筆訂正しました。


タウンわたらせエッセイ2~ リオ・デ・ジャネイロ滞在記 ~
2010年6月12日第388号掲載

 わたしがボサノヴァという音楽を始めたのは28歳のときです。それまで、歌も楽器もまともにできませんでした。ましてや、人前で披露することなんてことはもってのほかでした。最初は独学でしたが、東京へ行き、新橋にある、ボサノヴァ歌手の中村善朗氏のレッスン教室に通い、発音はライブレストランのオーナー夫人のブラジル人の方に習いました。そして2000年11月、本場のブラジル、リオ・デ・ジャネイロに渡りました。リオに知人はいなかったので、最初はホテルに滞在しました。そのうちにある日系人の方の紹介で、イタリア系のブラジル人のおばあさんのマンションにホームステイさせてもらうことになりました。そちらでは、我が子同然に接してもらえました。
 ブラジルはカトリック信者の多い国です。ですから、日常使う言葉にも、とても反映されています。例えば、「いってらっしゃい」という言葉は直訳すると「神様と行きなさい」、「行ってきます」は「神様といてください」となります。そのおばあさんは娘さんを交通事故で亡くしてしまったのですが、「どうして神様はわたしから娘を奪ったんだろう」と泣きながら言っていました。おばあさんも2002年に亡くなられました。
 リオ・デ・ジャネイロは日本からすると地球の裏側の街です。それだからでしょうか、日本と習慣と気質が全く違います。一例をあげますと、ブラジルでは感情を体で表現します。あいさつは抱擁。女性に対しては加えて両頰にキスをします。親しければ親しいほど熱烈にするのが当たり前なので、日本人には苦手な仕草だと思います。
 リオの人のことをカリオカといいます。ちなみに南米最大で日系人も多いサン・パウロのひとをパウリスタといいます。カリオカはおしゃべりが大好きで、ひとなつっこくて、底抜けに明るいです。朝は浜辺で日光浴、昼の仕事を終えると夜はバイレ(ダンスパーティー)に繰り出したり、バールというサンバ、ショーロ、ボサノヴァの生演奏を聞けるお店でビールとおつまみを摂りながら、聞いたり、歌ったり、踊ったりしています。お店が始まるのは8時ぐらいからで、最高潮はいつも夜更け。一日一日を満喫して生きているのですが、そのタフさは日本人には到底真似できないでしょう。
 リオの中心街はコパカバーナ、イパネマという有名な海岸が隣接してあり、海岸沿いには大きなホテルが並びます。ちょっと内陸部に入ると、岩肌がむき出しの山がそびえていて、道路沿いや公園には大きな椰子の木が生えています。椰子の木の葉は6、7mあります。ある日、公園のベンチにいたら、その葉が落ちてきたことがあるのですが、落ちたときのドスンという大きな音にびっくりしました。人間に直撃したら死んでしまうと思います。あのときは本当に肝をつぶしました。
 リオは自然の息吹が感じられる街です。ジャルジン・ボタニコという広大な植物園もあります。公園や海岸には小さな野鳩がたくさんいます。日本に多く見られるスズメやカラスはいません。ハチドリも生息し、窓から入って来て、家の中に置いてある鉢植えの植物の花の蜜を吸っているのを見たことがあります。
 リオ・デ・ジャネイロの気候は亜熱帯で、夏の気温は42℃に昇ることもあります。汗をかいてもすぐ乾いてしまい、Tシャツに塩がふいた状態になります。水分もこまめに摂らないと熱中症になります。現地の人は安くておいしい椰子の実の水やオレンジ・ジュースをよく飲みます。
 ブラジルの共通言語はポルトガル語です。渡る前に一応勉強していったつもりでしたが、最初は大分苦労しました。挨拶ぐらいまではよいのですが、その後に続く日常話している言葉が聞きとれずにコミュニケーションできませんでした。そうして6ヶ月が過ぎたところ不思議なことが起こりました。ある日を境におばあさんが言っていることがはっきり分かり、こちらもそれに応えて言葉が自然に出て来たのです。まるで幼児が突然すらすらと話し出す感じでしょうか。勿論、複雑な会話になれば話は別ですが、ブラジル人と共に生活し、日常会話を交わすことで歌詞の言葉の意味合いを肌で感じることができて、リオに滞在したことは本当によかったと思います。
 郷に入れば郷に従え その土地の風俗、習慣を受け入れてしまえば、現地の人々にも快く受け入れてもらえて住めば都となるものだなと思いました。
 

2013年1月28日月曜日

エッセイ1

 寒い日が続きますね。幸い、群馬県桐生市近辺は雪の影響はあまりありませんでした。
 さて、ここ東毛地区で配布されているタウンわたらせに、2010年にエッセイを掲載させていただきました。短いですので、計4回のエッセイを一本ずつ投稿していきたいと思います。


タウンわたらせエッセイ1~ ボサノヴァ:愛とほほえみと花 ~
2010年6月5日第387号掲載

 みなさん、ブラジルといえば何を思い浮かべますか?毎年テレビのニュースなどで取り上げられることといえば、リオのサンバ・カーニバルかと思います。サンバの発祥地は実はリオではありません。ブラジル北東部のバイーア州というところです。この州のサルバドールという町に、アフリカから奴隷として連れて来られた様々な主族の宗教からのものだそうです。1900年代前半まで公には禁止されていたそうです。
 部族では、それぞれが独自のリズムを持っているそうで、それがブラジル内で融合し、複雑なポリリズム(複合リズム)になりました。ですから、サンバの中にも色々なリズムがありますし、一時期流行ったランバーダなど他にもたくさんのリズムがあります。サンバとして形になったのは今から100年ほど前だそうです。
 リオ・デ・ジャネイロではサンバの他にショーロという哀愁を帯びた音楽があります。ブラジルは様々な移民による国で、最初に入植したポルトガル人をはじめ、スペイン人、フランス人そしてイタリア人などラテン圏の人々が入ってきました。彼らの中には亡命したヨーロッパの宮廷貴族がいて、そのような人々はお抱えの宮仕人も引き連れて来たそうです。ですから、リオ・デ・ジャネイロという街ではできた当初からピアノの所有率が高かったそうです。滞在時にブラジルオペラ協会の会長さんの誕生日パーティーにうかがったことがあるのですが、催された別荘の大きさは、プールなども勿論あって広大でした。当然、宮廷舞踊であるポルカ、ルンドゥなどが当時のサロンでは奏されていて、それがショーロの前身で、今から100年ほど前に形となったとされています。
 それに加えて、わたしが思うにリオ・デ・ジャネイロの音楽文化に書かせない要素はセレナータ(セレナード)です。思いを寄せる人へ奏するロマンティックな要素はラテン文化ならではです。ですから、イタリア音楽やメキシコのボレロなどもブラジル人は好んで聴いています。そうした音楽が成熟し、アメリカのスタンダード音楽やジャズなども取り込み、1950年代後半にボサノヴァという音楽が登場します。
 初めてのボサノヴァの曲「シェガ・ヂ・サウダージ」という曲は1958年に発表されました。そしてこの曲をひっさげ、独特なギターの弾き語りをするジョアン・ジルベルトの登場によって、ボサノヴァのブームが起こりました。作詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン、歌はジョアン・ジルベルト。ボサノヴァの代表曲のほとんどはこの三人によって送り出されたといっても過言ではありません。
 ヴィニシウスは作詞家に転向するまでは外交官をしていました。彼は作詞するにあたって、テーマを持っていました。それは「愛とほほえみと花」でした。ジョビンは自然を愛し、アマゾンの森林伐採の反対を唱えるエコロジストでもありました。ジョアンはサンバ発祥地バイーアから歌手として成功を夢見てリオに出てきましたが、失敗し、一時期姉夫婦の家に居候をしていました。その時期にギターによる独自の伴奏法を編み出し、ささやくような歌唱法とともにボサノヴァのスタイルを生み出したのでした。彼はそのスタイルを確立する過程においていつもある人に聞かせていました。その相手とは、姉夫婦の赤ちゃんでした。その子が安心してスヤスヤと眠れるための最良の子守唄だったのです。
 サンバというプリミティブな音楽を昇華させたボサノヴァ。そこにはポルトガル語の抑揚も重要な要素で、愛の波動に溢れた音楽です。
 

2013年1月21日月曜日

ペットは大事な自分の家族

 我が家には2006年にキジトラの野良だった猫とトイプードルの犬を家族として迎え入れました。猫の方は2階の自分の部屋に、犬の方は1階にと住み分けています。
 去年の夏頃から猫が食べ物というより、水みたいな液体を吐く頻度が高くなり、冬にいたっては毎日のように吐いていました。吐いた後はキャットフードもよく食べ、便通もきちんとあるのですが、やはり吐いている時は苦しそうでこちらも心配になってきました。
 インターネットでそんな症状を検索するといろいろと出てきました。その中にナチュラルフードにすると吐かなくなったという記事がありましたが、この辺では売っていません。それでとりあえずアマゾンで注文してみました。
 カリフォルニアナチュラルキャットフードのチキン&玄米というものです。スーパーやデパートで売っているものより値段が高いですが、それまでサイエンスダイエット(獣医の先生に薦められて購入。以来下痢がなくなっていました。)を与えていたのでそれほどでもありません。これだけでは食べなかったのでサイエンスダイエットのライトの缶詰タイプを混ぜてあげたところ、食欲がでました。嬉しいことに吐くこともほとんどなくなりました。
 昔と違って今はペットを室内で飼うので、立派な家族の一員です。いつまでも元気でほしいですね。こちらのいうこともよくわかるし、こちらも何がいいたいのかわかってきます。同じく猫を飼っているひとから聞いたり、ネットで調べると一般に出回っているキャットフードだと病気になる率が高い気がします。うちの子も食物アレルギーのようで、小麦、コーン、大豆、人口保存料を受け付けないみたいです。ペットは食べるものを選ぶことができないですから、日頃から健康状態をよく見て上げることが大事ですね。いまはアインホルンというネット通販しているお店からカリフォルニアナチュラルフードを買い始めました。商品とともにケアの丁寧なアドバイスが添えられています。お店のペットへの愛情も伝わってきます(^^)。
 いまはペットとともに快適な生活ができてしあわせです(^^)。