中学生になると当時のクラスではフォークギターを弾き始める子が出てきました。アリスとか長渕剛あたりの曲を歌っている子が多かったでしょうか。
わたしがいたクラスにはたまたま甲斐バンドが大好きな子がいて、その影響でロックに興味をもつようになりました。確か、その頃にベストヒットUSAというアメリカのヒットチャートの番組が始まり、ディスクジョッキーを小林克也氏が務めていました。
また、その頃我が家にソニー製のコンボステレオが来て、オーディオにも興味が出ました。その当時、サウンドレコパルやFMレコパルといった雑誌があって、購読し、エアチェックテープをつくるようになりました。
サウンドレコパル誌の記事に、小林克也が米軍放送(FEN)を聞いて英語を話せるようになった、という記事があって、とてもあこがれました。また、違う小林氏の記事の中で、お気に入りのアーチストを紹介していて、その中でローリング・ストーンズを紹介していました。そこでミック・ジャガーはしゃべるときはブリティッシュだけど、歌うときは黒人訛になると書かれていて、クールだなと思いました。
以来、初期のストーンズのレコードを買ってR&B(リズム・アンド・ブルース)の曲を聴くようになりました。そこへRCサクセションが登場し、故忌野清志郎氏もR&Bが大好きだということで、黒人R&B歌手を聴くようになりました。その中でも強い衝撃を受けたのがシャウトの王様オーティス・レディングです。いまならメロウの貴公子サム・クックに傾くかもしれません。
とくに「ウイスキー・ア・ゴー・ゴーのオーティス・レディング」は当時よく聴いていました。オープニングの「I can't turn you loose」のリフでもう血が踊りだし、「These arms of mine」は意味もわからないまま聴いていて涙が止まらないほど感動しました。
中学生という一番多感な時期にオーティスと出会えたことはわたしの人生の宝です。歌はソウル、ハートなんだと気づかせてくれました。
余談ですが、2000年のリオに行く前にオーティスが夢枕に立ち、「深く呼吸しろ。そうしないと続かないぞ」と言われました。あれはいまでも鮮明に憶えています。(つづく)
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