2009年 2月 9日 月曜日2004年の春、四柱推命の易者のひとに声明を聴いた方がいいと言われました。声明とは仏教儀式に用いる古典音楽で声楽曲です。聞けるところをインターネットで調べると、高野山で年に2回結縁灌頂という行事があって、そこで聞けるというので行ってみようと思いました。結縁灌頂とはふだん一般の人は入れない伽藍金堂にて、仏と人が縁を結ぶ儀式です。入壇料3,000円でしたが、有り難いのでたくさんの人が申し込んでいて、わたしも申し込んでみました。儀式では僧侶の指導によって目隠しをされ、手に印を結び、マントラ(三昧耶戒真言[オゥム サンマヤ サッタ バン]オン・サンマヤ・サットヴァンと聞こえた)を何回も何回も唱えました。詳しい事は省きますが、無事に儀式は済ますことができました。弘法大師が中国に渡り、恵果和尚から伝授された言霊学の真言密教の真髄は「すべてはうまくいっている」だそうです。また、密教の目的は、人間が肉体をもったまま悟りを開く即身成仏です。いまになってみると、興味深いシンクロニシティーがあったのですが、2000年にわたしはリオに行くと決めましたが、リオには知人がひとりもいませんでした。また、リオがどんなところかもよく知りませんでした。知り合いがいたほうがよいとは思い、ブラジル関連のひとの’つて’を頼ろうとしましたが、わたしみたいな普通の一般人を相手してくれるひとはいませんでした。その当時、精神世界の本をよく読んでいました。ある日、高田馬場の駅前の書店の精神世界コーナーに行くと、「すべてはうまくいっている」(佐田弘幸氏著)という背表紙の題名の文字が目に飛び込んできました。この本は絶対買うべきだと直感がはたらき、即購入しました。現在、この本は手元にはないのですが、当時、なによりこの「すべてはうまくいっている」という言葉が、旅立つとき、滞在中もわたしになにか安心感を与えてくれました。ここからは、わたしのなりの解釈ではありますが、自分の身に起きる出来事に偶然はなく、すべて必然であるとすると、その起こる出来事を前向きに捉え、その出来事に対処することが、自分のステージをあげられることならば、どんなときでも「すべてはうまくいっている」のだと思えます。そう思うと、何事も冷静に捉え、対処できる心のゆとりが生まれます。いままでのわたしの経験からする言えることはこういうことです。2004年、この年はちょうど弘法大師入唐1200年記念ということで、東京国立博物館で「空海と高野山」展をやっていて、高野山からの帰りに弘法大師、密教ゆかりのものをいろいろと拝見できました。これも何かご縁を強く感じました。弘法大師、密教の叡智のエネルギーに自分が引き寄せられたような。参考本:越智啓子「新しい運命」を自分に引き寄せる本参考サイト:まんだらや密教研究所 http://mandalaya.com/index.html
2009年 2月 1日 日曜日昨日は地元桐生国際交流協会さん主催の世界の料理フェスタのアトラクションで歌わせていただきました。外国人もたくさんいらしゃいましたが、時勢柄南米系のひとはほとんどいらっしゃらないのが残念でした。世界の料理フェスタは、10年以上続いている催物で、地元在住の外国人が先生となり、市民の人と一緒にその国の郷土料理をつくり、もちよって飲食するパーティーで、今回はインド、ポーランド、中国、イタリア、マレーシアの料理が出されました。このような異国のひと、文化と直接ふれあうということって自分の殻を破る意味でもとてもいいことじゃないかと思います。もっと多くの外国人のひとと市民が参加して、大きく広がっていけばよいなあと思いました。
2009年 1月 22日 木曜日最近はあまり見ませんが、以前はテレビ中毒でした。それで身に付いたことは、えせ評論家になったことでした。テレビに出演している評論家、パネラーに成り代わって、事件やゴシップについて、いろいろとレッテルを貼って、毒づいているのです。いまも、どこかに、その癖が残っているのでしょう。気づくとそうしているのです。この癖は、自分のやりたいことに集中することに大変な支障をきたすことに気づきました。もっと今自分のできること、そして自分の夢、希望、しあわせに意識を向けるべきです。今現在の社会状況からしたら、不安や恐れを抱いている人が近親者の中に(もしくは当人)にいて、その影響を受けない人は数少ないと思います。ですけど、自分の身に起こることに偶然はなく、起こった事をどのように捉え、それに対してどう自分が反応し、対処していくかということが大事だと思います。わたしがリオに以降と決意したとき、経済的に余裕があったわけではなく、当地にひとりも知り合いがいませんでした。ただの凡人であったわたしがブラジル関係のひとを頼っても相手にしてくれるはずもなく、あとにひけない状況であったとき、ふとテレビを見ると、柔ちゃんこと田村亮子選手(現在谷亮子)が、オリンピックで金メダルをとるまでの経験を話していました。そのとき、彼女が言った言葉「神は試練を乗り越えられない者には試練は与えない」という言葉が自分の胸にグッと来ました。今の自分では現在の状況を打破できないときでも、夢を焦点にすえて、失敗を恐れず、自分のできることを精一杯やると、何らかの打開策が見えてくると思います。とにかく自分の大事なものを掴むために、専心が大事だと今思っています。
2009年 1月 19日 月曜日「自分とはどんな人間であるか」と自分を客観視することは、とても大切なことだと思います。とりあえず、紙にでも書き出してみるとよいと思います。それに加えて、「自分とはどんな人間になりたいか」ということも考えてみるとどうでしょう。「自分とはどんな人間であるか」はこれまでの自分の過去の創造の結果で、「自分とはどんな人間であるか」はこれからの自分の想像です。わたしは2000年を境にある本の影響で、「ほんとうのわたし」とはどんな人間か、それを一瞬、一瞬、人とのかかわり合いの中で、また出来事の中でこころがけようとすることにしました。理想の自分も思い描くようになって、これまで、他人に押し付けられたり、言われたりしたことから、そのような人間として振る舞おうとしていた自分がいたことに気づかされました。いろんな意味において、「本当の自分」といまの自分はギャップがありますが、あせらず、自分のペースで「本当の自分」になれればと思います。参考本:ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との対話」
2009年 1月 15日 木曜日去年の11月に、時期外れですが、水菜を育ててみようと思いました。裏庭に2畳ほどの広さの庭があって、以前に燃し木の灰をまいてあったのです。一度、土を鍬で鋤いて余分なゴミは取り除きました。そこに肥料を少しまいて水菜の苗を植えました。育てようと思ったきっかけですが、それはやはり食の安全性が近頃世間で騒がれているのが気になったからです。お隣が長野の別荘で畑をしていて、とれた作物をお裾分けしてくださるのですが、それがとってもおいしいのです。分けてくださる野菜の中に水菜があって、たらこパスタやサラダにいれるとシャキシャキ感があってとてもおいしいです。それが、スーパーで買ってきたものは、にがみがあります。なんでも、そのにがみは野菜が熟していないとあって、人体にとっては発ガン性物質だとか。成長しきればそれがなくなるのだそうですが、そこまで育てて出荷となると店頭にでてあまりもたないのでしょうか。。私の家の近くには田んぼもあるのですが、そこを散歩していて、以前はいたカエルやイナゴやゲンゴロウがいません。あぜ道の草はみな枯れてしまっています。稲だけが生えていて、ある意味不気味です。ところが隅のひと区画の田んぼには除草剤もまかれていなくて、アマガエルがたくさんいたりして、散歩のお気に入りの場所です。アマガエルが無性に愛しいと思えます。「♪ぼくらはみんな生きている〜♪」という歌がありますが、いま聞くと歌詞が深いです。ときかく、あまり大きくはならなかったのですが、時期も外れて、植えてからなにもしなくても立派に野菜は生長してくれました。たらこパスタに加えておいしくいただきました。今はアブラナも植えてあります。
2009年 1月 9日 金曜日簡単に言うと「偶然の一致」ということですが、「心で思っていたことが現実になり、一致する」という意味のようです。昔は、よくこの人に会いたくないなあと思っていたら、ばったり出くわすなんてことがありましたが、2000年頃から逆にこの人にお会いできたらと思っていると会えたりすることが起こり始めました。以前からあこがれていた小野リサさんにお会いできたのも2000年で、そのときには歌も聞いていただけましたし、リサさんの歌も聞かせていただけました。なぜか、その何日か前にお会いできた光景がはっきりと浮かんで、そのとおりにお会いできたのでびっくりしました。それから、「アミ 小さな宇宙人」(エンリケ・バリオス著)を翻訳された石原彰二さんとの出会いもシンクロニシティーと呼べると思います。2003年4月半ば、風邪をひいて寝込んでいるときに、以前から勧められていた「アミ 小さな宇宙人」を読みました。そしてその内容にとても感動しました。そして、訳者の記述を見ると、出身地がわたしの同郷で、今も住んでいる群馬県桐生市でした。石原さんは以前からスペインに住んでいらっしゃいます。2週間後、ある方から電話が来て、遊びに伺いました。そこで「アミ 小さな宇宙人」の話をしたら、以前から石原さんと知り合いで、当時、わたしがボサノヴァのレッスンをしていた教室を貸してくださっていた方が大学の後輩だということがわかりました。そして、翌月には桐生市で個展を開くため来られるというのです。上の写真は、2005年桐生市での個展の会場でお会いしたときの写真です。翻訳することにした経緯や、作者エンリケ・バリオス氏のこと、精神世界のお話しをすることができました。石原さんの奥様はスペイン人で、個展の間、スペイン語を教えてくださいました。「アミ 小さな宇宙人」を石原さんに紹介したのも奥様のアンヘラさんだそうです。
2007年 12月 10日 月曜日 今年デビュ−20周年を迎えた沢田知可子さんという歌手がいます。言わずと知れた「会いたい」という曲が大ヒットした方です。「会いたい」は「21世紀に残したい泣ける名曲ベスト100」の第1位に選ばれたそうです。 新潟中越地震復興コンサートに参加され、そのときに「会いたい」を歌っている時に大粒の雹が降り、歌い終わったらピタッと止んだという不思議な体験をされたそうです。彼女はそのとき、地球の悲鳴を感じ、「今ここで私は歌いながら地球と向かい合っているんだ」と思ったそうです。そして以後、チャリティに参加するようになったそうです。 彼女の歌への想いも変わり、「会いたい」をヒット曲としてでなく、鎮魂歌という癒しの曲として歌うようになったそうです。沢田さんは言います。「私の役立ち方は、歌の先にあるヒーリングとかセラピーだなって思ってるんです。音楽療法として医学界で認められ始めていますが、音楽の力ってものすごいんですよ。歌には波動があります。それが痛みを取ったり、体を調整したり、自己治癒力を高めるパワーがあるんです。これをコンサートレベルでできるようになりたいと思って、うたセラピーと銘打ってやっているんです。歌を聴いて、心をオープンにして、自然と嬉しい涙を流して、スッキリして元気になって帰っていってもらいたいんです。」と。雑誌で、彼女のこれらの言葉を読んで、本当に感激しました。レコード会社の押し付けられた枠組みをはずれ、ご苦労もされたそうですが、自分に素直になり、自分のやりたいと思う活動をされていてとても素晴らしいと思います。歌のジャンルこそ違いますが、わたしも同じ想いでし、彼女のような素晴らしい歌手がこうした活動をされておりのを知って、自分の活動も力づけられた思いがします。 沢田さんが歌は波動だとおっしゃっていますが、わたしもその通りだと思います。そして人間も、物質も精密な顕微鏡で見れば、原子の周りを電子が回って振動しているものだそうです。だからあるものとあるものが共鳴するんですね。人間は脳から発した電流によって、手を動かしたりしています。でも、マッサージ器をあてても動いたりします。エレキギターは弾いた弦の振動が、スピーカーから発している音に共鳴して長く鳴らすこともできます。共鳴しているからです。わたしは科学者ではないのでうまく説明できませんが、どんな歌でも理屈でなく人々に、その波動が共鳴することがあると思います。ボサノヴァも、頭を空っぽにして体で、心で感じて受け取っていただきたい。ボサノヴァの波動を感じて、受け取ってもらえたらと思います。